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shigeのつぶやき


大阪あそ歩 09春 開催に際して (その2)

大阪あそ歩のメインターゲットとなる参加者は京阪神在住の近隣住民です。
勿論、全国どこからの参加も問題はありませんが
多分首都圏や全国を視野に入れたイベント、旅行商品としての展開は期待できないでしょう。

これは、同じ観光のジャンルに入っても、
まち歩きとして訪れる場所は大抵、
大手旅行社などが企画するメジャーな観光地ではないからです。

まち歩きの目的は地域発見という要素が強いです。

そこには、地域のストーリーが関わってきます。

難しい歴史の知識は必要ありませんが、
対象となるまちのイメージが掴めていないと、
まち歩きに参加してもその面白みが減殺してしまうでしょう。

全国的なツアー商品には成りえないというのは、まさにその点にあります。

何らのイメージも持ち合わせていなくて、メジャーな名所・旧跡、施設のように、
単純に見て楽しめる、遊んで楽しむのは難しいのではないかと思うのです。

その代わり、名所・旧跡の不足を補う要素として、
まち歩きには、まちの表情と直に接するコミュニケーションがあります。

まちの人との会話を楽しむというのもあるでしょうし、
地元に評判の店で飲食する機会もできます。
地域に根付く独特の慣習や名所を知る驚きもあります。

コミュニティ・ツーリズムとはこのような観光のあり方をいうのです。
参加者自身が能動的に面白みを発見することが求められます。

ちなみにエリアをまち中でなく、農村や大自然の中に置きかえると、エコ・ツーリズムになります。
いずれも従来のマス・ツーリズムとは一線を画した体験型の旅のスタイルを提案しています。

 *

先日、大阪市役所で開かれた「大阪あそ歩 09春」のガイド・サポーター結成式には、
50人に及ぶガイド・サポーターが集まりました。

当日、欠席された方を含めると、100人近い市民が
大阪あそ歩に関わっていることになります。

2年後の300コース整備に向けて、その数は益々増えることと思われます。
既に秋に向けて実施中のガイド研修会でも毎回20人程度の方が出席されていて、
出だしは上々です。

これだけの市民がこの企画に関わってくれるのは、
ガイド代表としてコメントを述べられた足代健二郎さん(鶴橋)が仰られたように、
地元でまちづくり活動に携わっていた者にとって
このような企画(活動)こそ、長年待ち望んでいたということに尽きるでしょう。

彼らの多くが、活動を通じて大阪が京都や奈良、または神戸に負けないくらいの
多彩なまちのポテンシャルがあることを知っており、
一般に流布されるお笑いやこてこてといった
ステレオタイプな大阪のイメージにウンザリしていました。

また、大阪で文化活動をしている人たちが口を揃えていうのが
文化を解さない「文化的貧困」「文化不毛の地」です。

私もそれを聞きながら、そのとおりだと納得しながらも、
釈然としない気持ちも持っていました。

古いものを捨て去り、実利的なものにしか関心を向けないといわれる
いわゆる大阪人的気質(?)も、最近でこそ否定的に語られがちですが
それが常に前を向き、ユニークな技術やアイディアを生み出してきたことも事実だからです。

それに大阪は相次ぐ戦乱の中で、多くを失ってきた歴史があります。
大阪の歴史は断絶の繰り返しだという専門家もいます。

だから必要以上に卑下するのは憚られるのです。

ただ、やはりここらで従来の価値観を見直すときにはきています。

まち歩きは、手っ取り早く地域の良さを提示し地域を見直す格好の手法だといえます。

高尚なものでなくていい。
もっと身近な題材で、誰もが気軽に参加でき、文化を見直すきっかけになりうる、
地に足が着いたよりどころを提示できるという利点があります。
おまけにエコ・健康志向ともかぶりますし。

これが足元を見つめなおしたいという時代のニーズとも重なり合ってきました。

今まで地域で地道に活動をしてこられた方にとっては
今回の企画によって初めてまち歩きが大きなネットワークを持った
イベントとして認められたという感慨があると思います。

結成式で多くの賛同が寄せられたのはそのような背景があったからです。

私は、大阪あそ歩チーフ・プロデューサーの茶谷幸治氏の熱意のこもった挨拶を聞きながら、
次第に身体の中が熱くなるのを感じました。同時に会場全体も同様の熱気を帯びてきました。

「大阪あそ歩 09春」はいよいよ4月19日スタートします。


  
  大阪あそ歩'09春  
  水都大阪2009   
  OSAKA旅∞(おおさかたびめがね) 
  第1回なにわなんでも大阪検定  
  大阪ミュージアム学芸員   

(2009/4/16 第133号)


大阪あそ歩 09春 開催に際して (その1)

水都大阪2009、大阪検定、大阪あそ歩と、
大阪のまちの魅力向上にまつわる行事が立て続けに開催されます。
大阪ミュージアム構想というのもありますね。

LLP YUI企画も大阪あそ歩では
企画・制作、ガイドといった役割を担い、目下事前の確認を行っているところです。

俄かにこうした動きが始まった感がありますが、何故でしょう?

実はこうした動きは大阪だけに限った話ではなく、
全国で見受けられるのです。

検定ブーム、まち歩きブームというのは確かにあります。
水都にしたって、地域博覧会と捉えれば、類似のイベントは以前より各所で行われています。

この動きの背景には、国の観光重点施策があるのは間違いないのですが、
それだけが盛り上がりの理由ではないでしょう。

一つには地域や自国の文化に対する関心が高まりがあると思います。

問題も噴出しましたが漢字検定がそうですし、和ブームもそうだといえます。
ご当地検定などはまさに両者の組み合わせ(エエトコドリ)です。

地域の繋がりが希薄になり、住環境が悪化する一方の現代社会において、
経済状況に限らず、先行きの見えない不安を抱く人は増える一方です。
そうした人々にとっての心のよりどころ(アイデンティティ?)は確かに求められています。

それがかつて存在した(知らない世代にとっては”存在したであろう”)
地域社会であったり、何百年も続いてきた文化伝統であったりするのでしょう。
昭和懐旧も同項ですね。

理想化されているきらいがありますが、
それらの社会には分りやすいカタチとなった心棒が見えます。

さて、まち歩きです。

これも前述の思いが
足元である地域を見直す動きに繋がってきたのだと思います。

ガイドによるまち案内というと、つい歴史談義かと思われがちですが、
まち歩きの本質は歴史談義ではありません。

いかに地域の魅力を伝えるかが目的で
歴史の知識はそのネタとして活用されるものです。

ここは歴史というと難しい話だと敬遠される方もいますので
地域にまつわる”いわれ”と呼んだ方がいいでしょう。

いわれには歴史的事実の正確さは求められません。
この土地ではこんな伝説・伝承が引き継がれてきたといったことこそが重要なのです。
なぜなら、引き継がれるという事実自体、それが地域の生活に結びついたものであるから。

土地の郷土料理、銘菓などにもいわれはあります。
これを知ることで興味は倍増します。面白いと思う心です。

そうしたいわれを伝えるのがガイドであり、土地の人だと思うのです。

例えば、大阪あそ歩にガイド・サポーターとして参加する人を対象にした研修会では、
実地研修として新町を歩きます。

かつて天下一の花街と称され、江戸の吉原と並ぶ大遊郭だった新町。
戦災によりほとんど焼き払われ、実際にまち歩きをしてもその面影を探すのは困難ですが、
そこを埋めるのがまちの人の記憶です。

このコースでは途中に、50年この土地で営業を続けている喫茶店を訪れ
(かつてこの場所にお茶屋があった)廓話を聞きます。
日本三大名妓といわれた夕霧太夫。まず夕霧太夫の悲話が語られます。
その夕霧太夫に因んだ夕霧もなか(販売する廣井堂は花街とともに歩んできた老舗和菓子屋)が配られます。
かつてのお茶屋の女将の手記も朗読されます。

初めてこのまちを訪れた人も、これでなんとなく新町遊郭をイメージする取っ掛かりが出来ます。

直接的、間接的なまちの人との接触を通じて、まちの魅力を高めていく。
これこそがまち歩きの魅力ではないでしょうか。

こうした人・地域と直接通じ合う観光のあり方を
コミュニティ・ツーリズムともいい、
従来の観光地めぐりを主体にしたマス・ツーリズムとは一線を画しています。

大阪あそ歩もコミュニティ・ツーリズムであり、
3年がかりのこの活動を通じてまちの風景が変化することを目指しているのです。


  
  大阪あそ歩'09春  
  水都大阪2009   
  OSAKA旅∞(おおさかたびめがね) 
  第1回なにわなんでも大阪検定  
  大阪ミュージアム学芸員   

(2009/4/8 第132号)


都市交通雑感

 以前にも当コラムで取り上げたことがありましたが、
 自転車マナーの問題に関心が高まっています。

 先日も朝の情報番組でこの問題が取り上げられていましたが
 昨年の道路交通法の改正でクローズアップされたのが
 自転車は車両で、車道走行が基本であるということでした。

 これが多くの意外性を持って受け止められたことが
 長年自転車の法的整備を(政策上)放置してきたことの表れだといえるでしょう。 

  *
 
 高度成長期と共に始まったモータリゼーションの進展は
 ひたすらクルマ優先の道路行政を続け、その結果、
 車道から路面電車(廃止)や自転車(歩道走行への誘導)を駆逐し、
 歩道を暴走する自転車は歩行者にとっては脅威となる存在になりました。

 また、地方において鉄道・バスといった公共交通の衰退を招きました。

 時代が変わり、高齢化社会の進展や環境・医療問題への関心の高まりと共に
 クルマ中心の交通体系を見直そうという動きが始まりました。

 主要な都市機能を徒歩・自転車商圏に集約するコンパクトシティの考え方や
 環境負荷を増やさない公共交通の利用促進です。

 富山市におけるLRTの導入、名古屋市における自転車の活用
 京都市における市街地への自家用車の乗入規制の実験など
 様々な都市交通の実験が各地で始まっています。

 自転車問題も都市交通のビジョン作りの中で対策を考える必要があります。

  *
 
 LRTについては今のところ話題性が先行しているようです。
 大阪に唯一残る路面電車である阪堺線のレトロ人気も相変わらずです。

 が、バリアフリーやパーク&ライドと語感のよい取組みの反面、
 路面電車が廃止される要因となったクルマの渋滞原因であるという
 問題点はクリアできるのか、大都市部での導入に際しては課題は残されたままです。
 
 単にLRTの導入ばかりではなく、
 車両の市街地制限を本気で考えないと根本的な解決にはならないと思います。
 
  *
 
 先日視察に訪れた和歌山電鐵の例を出すまでもなく、
 地方鉄道の復権もその流れに沿っての展開です。
 
 ここでは一旦乗客が離れた鉄道をどのように活性化させていくかに
 地元住民、行政、学校が中心となって知恵を絞っていました。

 いちご電車やおもちゃ電車、たま駅長のアイディアもその中から生れたのですが、
 やはりそこには、地域の足をなくしてはいけないという地元の一体となった思いがあったことは確かです。
 
  *

 すべてはこれからのまちづくりをどうするのかといった
 全体の大きなビジョンの中で、交通体系として整合性を取りつつ
 一つ一つの問題に取り組んでいくことが必要なのではないでしょうか。


 ◆自転車文化タウンづくりの会
 ◆自転車活用のまちづくり(国土交通省) 
 ◆和歌山電鐵 
 ◆富山ライトレール 
 ◆堺LRT 

(2009/3/16 第130号)


たま電車が走る! 和歌山電鐵訪問

 大阪での社会起業家のネットワーク組織である
 ソーシャル・イノベーション大阪(SIO)の3月の交流会は、
 今や写真集まで販売されるようになった日本一有名な駅長〜たま〜がいる、
 和歌山電鐵への視察ツアーです。

 実は和歌山電鐵へは昨年、ある勉強会で和歌山のまちおこし活動事例として訪れ、
 関係者のお話やおもちゃ電車・いちご電車への乗車を楽しみました。

 そのときの模様は当コラムでレポートしました。(下記参照)

 この会社の理念は「日本一心豊かなローカル線になりたい」です。

 南海貴志川線の廃止から地元での存続運動の開始、特にNHK「ご近所の底力」での放映が
 運動に火をつけ、和歌山電鐵の設立に至りました。
 つまり地元の声の中から生まれた鉄道会社です。
 
 ですので事業の運営決定方法も地域と一体となった独特のものです。
 
 電鉄会社と自治体、地域住民などで構成された運営委員会による意思決定で、
 そうした中からの産物として、たま駅長やおもちゃ電車は出ました。
 
 これらは既存の鉄道関係者内部の発想だけでは決して生まれ得ないユニークなアイディアだと思います。

 和歌山電鐵の成功は、利用者の目線に立った取組を行なったことが
 要因だったと関係者は口を揃えます。

 「当たり前のことを当たり前にする」「お客が喜ぶことをする」
 前回常務よりお聞きした言葉です。

 今回の視察ツアーの翌日から、更に新しい車両としてたま電車が運行します。

 20日はそんな話を再びお聞きした後、おもちゃ電車に乗ってたま駅長に会いに行きます。
 

 ※和歌山市のまちづくり活動(2008/1/28 第91号) 

 ◆和歌山電鐵株式会社 
 ◆3月21日たま電車始発(朝日新聞) 

(2009/3/4 第129号)


地方分権と飯田モデル

大阪市他が主催する地方分権シンポジウムに出席しました。

今話題の橋下知事と平松市長が、初めて公開の席で激論を交わすというので、
会場は大勢の参加者と報道関係者で埋め尽くされました。

橋下知事は持論の関西道州制の実現と絡めて分権の大切さを訴え
平松市長は大阪市の現状の取組みと限界を訴えていました。

両者の丁々発止は確かに見ものでした。

結果的に両者のコーディネーター役になってしまった池田市の倉田市長も負けじと
シティ・オブ・OSAKA(大阪都構想)を打ち出して、
大阪府市長会会長の面目躍如といったところを見せてくれました。

全体としては見ている方がグイグイ引き込まれるお得感のあるシンポジウムでした。
これはこの種のものとしては非常に珍しいことです。

各種報道では”知事と市長の本音バトル”などと、面白おかしく報じていましたが
現場で見た限りでは、お互い言いたいことを言える関係が出来ているといった印象でした。

トップレベルに限ろうが、府と市の対話が始まったということは
なんらかの改革への期待を抱かされるものであろうことは間違いありません。

現在抱える問題点や事例を元にした話題から
互いの論点を引き出したおかげで、道州制の意義や必要性など、抽象的だったことが少しずつ
具体性を帯びてきたように思いました。


もうひとつ、久しぶりに聞きごたえのある内容となったのが
住まい情報センターで行われた、高橋寛治氏の「育て!地域への愛着、まちの風格」基調講演でした。

高橋氏は現在は和歌山県高野町副町長を務めていますが、
元長野県飯田市のまちづくり推進室長で、
後に「飯田方式」と呼ばれるまちづくり事例を推し進めた中心人物でした。

再開発事業というと、大阪の阿倍野や北ヤードにおける再開発事業が思い浮かび
ハコモノ先行の事業といった先入観が強いのですが、
飯田における市街地再開発計画は、
どのような都市にするかというコンパクトシティの構想の下で、
交通体系の整備、歩行者優先のまちづくり、市街地居住の促進、
地元主義に徹したテナントの誘致、デベロッパーの排除と、
体系だてて展開しています。

ハード事業を手がけながらも、ビジョンがしっかり確立しているので
開発事業が有機的に機能している風に受取れました。

地元主義は観光施策にも現れ、
こちらはエコツーリズム、グリーンツーリズムになりますが、
本物の体験教育旅行の推進と、地元に受け専門の旅行社を設立したりと
コミュニティ・ツーリズムの手本となるものです。

こうした変革には往々にして法の壁があったりするものですが
「エゴでなく普遍性があれば『法』と対決すべき」と言い切っています。

このあたりが力の源泉だと察しました。

地方分権、道州制、まちづくりと、規模と主体は違いますが
責任を伴う地域主体という共通項を感じます。

心意気を感じる動きを聞くことが出来ました。

●株式会社飯田まちづくりカンパニー
●南信州観光公社
●南信州あぐり大学院とワーキングホリデー

  

(2009/2/14 第127号)


風水緑のまちづくり

大阪市が進めている施策のひとつに
「風・水・緑を活かした潤いある都市環境の創出」があります。

目的は夏場のヒートアイランド対策でもあり、
都市緑化、都市景観の創造でもあります。

施策の主軸となるのが、大阪市街地を東西に抜ける幹線道路や河川を整備して緑地帯を作り、
大阪湾から吹いてくる海風を呼び、都市部に冷気を送り、更には生駒山地の自然と結んで
生物の道も作るという”風の道・生き物の道”構想です。

この取組の推進に、市民協働が掲げられています。

風水緑のまちづくりネット大阪は、協働による環境と経済と社会が好循環した風水緑のまちづくりを通して、
地域に根ざした持続可能な社会展開をめざすネットワーク組織です。

今回、大阪市立環境学習センター(生き生き地球館)の協力として、
風水緑のまちづくり講座を5回連続で行ないます。

この講座には、他にも関西でまちづくり活動を行なっている様々な団体が講師として参加しています。
座学の他に、実際に大阪のまちに出て観察するフィールドワークがあり、
関西まちづくり協議会がガイドとして加わっています。

また、大阪24区を順番に環境啓発のためのタウンミーティングを行なっています。

環境系の分野でも協働の動きが始まりました。

●風・水・緑を活かした環境まちづくり
 

(2009/1/16 第125号)


2009年 新年のご挨拶

 新年明けましておめでとうございます。

 今年YUI企画は設立後6度目の春を迎えます。
 LLPとして発足してからでも3年目の正念場です。

 この間のまちづくり、そして社会全体の流れを見ていますと、
 確実に価値観が変化していることがわかります。

 昨年来の経済危機については、新聞等で報道されているように
 予断を許せない状況にあり、派遣切りの問題と相俟って、
 企業の社会的責任(CSR)が問われる事態となっています。

 自動車を始めとする製造分野における打撃は計り知れないものがありますが、
 その中でもそれほど状況が深刻化していない分野があります。

 小売〜特に生活関連〜や情報産業など、輸出にはあまり関わらない業種・業態です。
 一部には人手不足もあるというのに、なかなかこういったことが報道されないのは困ったことです。

 今に至って、ようやく内需拡大が危機感を持って叫ばれていますが、
 輸出に依存していた戦後60年の”常識”の検討が迫られている時がきているのだと思います。
 
 意外なことに、業績を伸ばしている分野に、究極の余暇産業とされる観光がありま す。
 
 日経新聞の社説で、
 沖縄県の企業短期経済観測調査(短観)の業況判断指数が2期連続で改善した例を紹介し、
 その背景として、1.外需に左右されない産業構造、2.観光産業の健闘、
 3.IT関連の躍進による雇用創出があると指摘しています。

 上記の例に共通するのは、観光も含めて内需主導型の産業だということです。
 つまり、内なる需要を喚起し、地域に眠る資源を活用したことが危機回避に繋がったというのです。
 
 記事では同様に地域資源を使って町の活性化に成功した愛媛県内子町の例も取り上げています。
 両者はともに地域資源の掘り起こしに成功した事例といえます。

 内需型産業の育成の中で、最も即効性があるを見込まれているのが観光分野です。
 
 観光が成長が望める分野といっても、
 かつての大手旅行社が介在し、貸切バスの利用などによるマス・ツーリズムは影を潜め、
 代わって地域社会との交流を主眼とした
 体験型ツーリズム=コミュニティ・ツーリズムが台頭してきているのです。

 実はコミュニティ・ツーリズムが注目されているのは、
 その効用として地域の活性に繋がるという期待感があるのです。

 地域の成長を図る経済的尺度は、以前はそこに住む人、いわゆる定住人口を基準にするのが通例でしたが、
 近年ではそれに地域を訪れる人を加えた交流人口を重視する傾向に変化してきまし た。

 考えてみれば当たり前の話で、まちを潤すのはそこの住人だけではないはずです。

 まちの活性化は地域内外の人の交差から生まれることに気づいたというより、
 生活の安全に至る範囲まで、もはや地域住民の手だけでは
 それを解決するのは難しいということなのでしょう。

 コミュニティ・ツーリズムの実施手段として代表的なのがまち歩きです。

 まち歩きによって地域内外の相互交流が行われ、それぞれの地域を見る意識が変わってくる、
 実施によって生まれる利益は地元に落ちる仕組みとする、
 と人的・経済的両面の効果が見込まれるのです。

 その転機になったのが2007年に開催された「長崎さるく博」です。

 これは住民自らがまちの案内人としてガイド活動することで、
 意識変革を促したという点で画期的なものでしたが、
 そこから派生してインフラの整備をまちにいう拡がりをもたらせました。

 また「さるく博」の成功にイベント関係者も驚きました。

 博覧会といえば、大規模パビリオンを作ることだと思い込んでいた”常識”が覆されたのですから。

 現在、イベント学会ではイベントの定義を「ある目的を達成するための手段」と位置づけていますが、
 なかでも地域活性を重視し、改めて地域に根付く祭や行事が果たす役割にスポットを当てています。

 日経の社説は、地域資源の有効活用に危機脱出の鍵が隠されていると結んでいます が、
 YUI企画のスローガンが地域産業の立ち上げにある上は、「長崎さるく」の延長線上に位置する
 「大阪あそ歩」に積極的に関わることで、その目的を果たしたいと思います。

 今年は大阪にコミュニティーツーリズムという新たな観光-地域-産業を立ち上げるべく
 ”大阪あそ歩”への取り組みに邁進したいと考えています。
 
 本年もどうか宜しくお付き合い願います。


  日経新聞2009/01/04 

(2009/1/8 第124号)


出前講座 大阪市の市政改革 

大阪市提供の出前講座を企画・実施しました。
テーマは「変わります!大阪市〜市政改革の取り組み〜」です。

これは市民(在勤・在学者を含む)を対象に、
市の取り組みや暮らしの知識・情報などを説明するもので
10人以上のグループが揃えば、無料で開催できます。

行政の立場からの説明ですが、
直接市制について質疑応答できる格好の機会として活用できます。

今回は30あるテーマの中で市政改革をチョイスしましたが、
これは事前に参加を希望する10名にアンケートを取ったところ
このテーマが圧倒的に多かったからです。

如何に市民の目から見て、市が何をしているのか
関心が高いということでしょう。
裏を返せば、何をしているのか分からない、
不審の目で見られているということでもありますが。

市からは市政改革室の課長・係長が2名、
厚い資料を持って現れました。

質疑応答も含めて2時間弱の講義でしたが、
改革の発端となった職員の厚遇問題から始まり、
財政の現状と今後の予測、それに対する取組施策の数々について
一通りの説明がありました。

数値資料がかなり豊富で、他都市との比較もあって分かりやすかったです。
これは意外でした。

全国市民オンブズマンによる情報公開度のランキングでも
大阪市は改革に着手以来グングン順位を上げているそうです。

やればできるじゃないというのが感想でした。

こうした報告を受けて、
質疑応答も行政批判は鳴りを潜め、
純粋な疑問や激励に近いものまで飛び出しました。
お互い真剣なものだったと思います。

言いっ放しの行政批判は普段耳にしますが
ではどれだけ我々がその中身について理解しているのでしょうか。

中身なしの批判は意味のないことですし、
勉強、それ以前にコミュニケーションの問題でもあります。

全面的に賛成ではないが、少なくともコミュニケーションを取ることで
「大阪市は何もしていない!」という極論は排除できます。

今回の説明を聞いて私は、


民間に比べると遅々とした歩みながらも、
市職員の意識改革にまで踏み込んだ改革には着手しつつある、
そして問題意識を持って積極的にこの課題に取り組む職員がいることを理解しました。

ただ、こうした市制改革室の方の話から感じる意欲と
市役所や区役所等の現場で受ける事なかれ主義、縦割り意識のギャップは
まだまだ克服すべきものとして大きく存在しています。

市民側も受身の姿勢で、マイナス面だけをあげつらうばかりでは
何も生まれませんし解決できません。

お互い立場は違えども、地域をよくするために
現状の課題を如何に克服するのかが
これからの市民意識に求められているのではないでしょうか。

面倒くさがらずに、我が事として社会に主体的に関わる時期に
そろそろきているのだと思います。

 ◇大阪市出前講座  

(2008/12/17 第122号)


ぴーすはうす昭和〜西成・山王にある女性専用のゲストハウス
 

ソーシャルイノベーション大阪(SIO)の第2回交流会が
西成区山王にあるゲストハウス、ぴーすはうす昭和を会場にして行われました。

オーナーは伊東祐美子さん。
ピースボートに乗船したりして、世界40カ国を回った行動派の女性です。

そのバイタリティはゲストハウス立ち上げに際してもフルに発揮され、
自ら不動産業に勤めて物件を探すというほどです。

何がここまで彼女を行動させるのか。
それは自らの旅の途中、各国のゲストハウスで交わした
旅行者や土地の人とのふれあい体験が大きかったようです。

これら旅の中で培った人脈は財産として引き継いでいます。

開業に向けての長屋の改装際には多くのボランティアが集まったということです。
また、宿泊客として利用したり、彼らからの口コミでここを訪ねてやってきたりしています。

ぴーすはうす昭和のある場所は西成の山王地区。

近くの新今宮駅前や釜ヶ崎には
ドヤと呼ばれる簡易宿泊所(簡宿)が乱立していますが
このぴーすはうす昭和のある一角は民家が多く立て込んでいて、
路地と長屋に象徴される昔ながらの下町といった場所です。

先入観がある大阪の人には近寄りがたい印象があるエリアですが
ここへ泊まりに来るのはそんなこだわりのない外国人のバックパッカーがメインです。
宿帳を見ると六本木ヒルズが住所の人がいたそうです。
女性も多く、中には9月から泊まり続けている長期滞在者もいました。

伊東さんの話しを聞いて面白いなと感じたのは
観光目的でやってきたバックパッカーが、
チェックインの後は観光など忘れたように、
部屋の中をゴロゴロしたり近所をブラブラするということ。

世界中を渡り歩いてきたバックパッカーにとっては
ホッとする居心地のいい空間なのでしょう。

日本の普通の民家の生活を体験できることも大きな魅力だと思います。
近くのスーパーで買ってきた食材を使って各自勝手に自炊しています。

このゲストハウスを運営する上で欠かせないキーワードは周辺地域との関係作り。
つまりは地域住民の理解と協力関係の構築です。

当初はゲストハウスという聞きなれない言葉や、簡宿と混同されたりと
色々トラブルもあったようですが、
誤解が解けるとかえってまちの人は親切で、
ゲストハウスの場所が分らず路地に立ちすくんでいる外国人を見ると
聞かれもしないのに宿の前まで連れてきてくれたりと
下町ならではの人情を感じさせるエピソードもあります。

今回の交流会では伊東さんの他に事例発表として、YUI企画の活動を山田が、
日本の財政問題を島川さんがおこないました。

SIOの今後については発起人の施治安さんより方針発表がありました。

終了後、懇親会を近くにあるcoco roomにて行いました。
かつてフェスティバルゲートに入居していた就労支援カフェです。
オーナーは詩人の上田假奈代さん。第1回のSIO交流会でも発表していただきました。

 ●ぴーすはうす昭和 
 ●ソーシャルイノベーション大阪(SIO) 
 ●こえとこころとことばの部屋 coco room 

 ※交流会当日の模様は、施さんのブログでも確認できます。
  ソーシャル&エコ・ビジネスを通じた在阪華僑の日中社会貢献Blog.

(2008/12/06 第121号)


大阪あそ歩と長崎さるく

 大阪あそ歩で住吉のガイドを務めるにあたって
 同じまち歩きイベントとして注目を浴びた、
 長崎さるく博が行われた長崎市を歩いてきました。

 長崎さるく博が開催されたのは2006年。
 愛・地球博と同時期です。

 さるくとは長崎弁でぶらぶら歩くという意味。
 長崎さるく博は「日本ではじめてのまち歩き博覧会」という触れ込みで212日間実施されました。
 
 博覧会というと、大会場に大規模パビリオンが林立する光景が普通ですが
 さるく博で新たに建造したパビリオンはなく、関連イベントも最小限に留めていました。
 
 あくまでまち歩きを博覧会のメインメニューに据え、
 来訪者が散策しやすいよう、40コースあるまち歩きの
 コースごとのマップ作りや案内標識の設置、
 主な観光拠点や町のお店にはさるく茶屋と名づけられた休憩場所や
 さるく見聞館という地元の話が聞けるスポットになってもらうなど
 地元の協力を得ながら整備されていきました。
 
 こうしたインフラは市民が主体的にイベントに関わることによって可能となったのです。
 観光客と長崎市民がふれあうという新しいスタイルが確立されたのです。

 それは同時に、長崎市民が自分のまちの魅力に気づき
 まちのイメージをよくしたいと活動を始めるきっかけとなりました。

 結果、1023万人の参加者を集め、長崎さるく博は成功し、
 博覧会終了後は長崎さるくとして引き継がれていくことになりました。
 公式サイトを見ると、イベントの継続を望む市民の声が大きかったようです。

 今回、長崎の町を見て気づいたのは、博覧会終了後2年が経つというのに
 まちじゅうにさるく関連のキャッチが見られました。

 観光案内所は元より、地元の商店、ホテルのロビー、商店街のタペストリー、
 市電の車窓や停車場のポール。至る所にさるくです。
 
 マップを手に、まち歩きを楽しむ観光客の姿も目につきました。
 それが普通のまちのちょっとした裏通りであったりして、
 少なくとも近隣県には長崎さるくが浸透している様子がわかりました。

 自由散策の遊さるくの他、ガイド付の通さるくにも参加しました。
 ガイドの男性は、2年ほど前から始めたといってました。
 
 それまでは、長崎の南山手というグラバー園などがある地域に住んでいても
 関心が薄かったそうです。
 さるく博をきっかけに地元の魅力に気づき、勉強を始めたということです。

 地元の人の地域に対する意識が変わる。
 さるく博の狙いがピッタリはまっていました。

 コースを探しているときに、
 地元のおばさんが声を掛けてきて、道順を教えてくれたこともあります。
 イベントの成果が一過性としてではなく、地域に息づいていることを確信しました。

 長崎さるく博、そして今回の大阪あそ歩をプロデュースするのは茶谷幸治氏。
 しまなみ海道'99等を手がけたイベントプロデューサーです。

 都市観光の新しい形として、また、住民参加によるまちづくりの有力な手法として、
 まち歩きの有効性をアピールした茶谷氏は
 観光都市としての要素が薄い大阪では長崎とは違ったアプローチをとるといっておられます。
 
 それはどのような形になるのか、
 大阪でのイベントに関わる者としても興味津々です。

 どちらにしても息の長い取り組みになりそうです。

 ●長崎さるく公式サイト
 ●長崎さるく博'06公式サイト 
 ●大阪あそ歩 
 ●茶谷幸治のホームページ 

(2008/10/27 第117号)


コミュニティスペース空

YUI企画サポーターの懇親会を開催しました。
場所は奈良市富雄にあるコミュニティスペース空。

元は廃屋だったという建物を、
のべ80人に及ぶボランティアが手作りで1年半かけて作った
レストラン兼イベントスペースです。

当日はオーナーの山本惠子社長のお話も聞くことができ
ホッコリした時間をすごせました。

サポーターの皆さんやそのの家族にも好評で、
また来たいという声もいただきました。

皆さんも一度訪れてみてはいかがでしょうか?
きっとこの場所が好きになることでしょう。

○コミュニティスペース 空
  
○サポーターたちの感想
 ※女性特定社労士&キャリアコンサルタント・山田真由子の滋賀発情報通信
   
 ※ソーシャル&エコ・ビジネスを通じた在阪華僑の日中社会貢献Blog.
   

(2008/10/7 第115号)


摂津市 生涯学習サミットに参加して

去る9/20、JR千里丘駅前にあるフォルテ21にて開催された摂津市「生涯学習サミット」に
パネリストとして参加しました。

生涯学習フェスティバルの一環として、昨年から市内外の生涯学習に関わる団体を集め、
活動事例を聞き、市民との交流を深めようという試みです。
今年は7団体が参加。そのうちYUI企画も含め4団体が市外でした。

それぞれの発表を聞き、感じたことは、
市内で活躍される団体はより活動内容及びその目的が具体的だということです。
活動エリアもはっきり定まっています。

例えばチューリップアートin摂津実行委員会の皆さんは
摂津市を流れる大正川や中央環状線沿いをチューリップでいっぱいにし
住みよい景観づくりを進めようという明確な目的意識があります。

活動のために富山県のチューリップ農家と専属の契約を結び
ご好意でチューリップの花を採らせてもらっているそうです。

全国まちづくりカレッジ2008in摂津実行委員会の主要メンバーである
大阪人間科学大学の学生は、
地域の中で学生が出来ることは何かを考え実行する協働の試みです。

特筆すべきは若いパワーがまちづくりの核として行動していることです。
夢は大きく、全国のまちづくり活動団体をこの”まちカレ”に呼び寄せたいということです。

同様の趣旨は、このシンポジウムを企画した市の職員も言ってました。
「まちづくりは地元とよそ者との交流の中から生まれる」ということです。

同感です。

事例発表後の出席者との質疑応答では、質問がYUI企画に集中。
その大半がLLPの仕組みについてでした。

聞きなれない組織に対する興味と共に、
NPOなどの形態をとる市民活動が運営の継続(はっきりいえば資金)に
頭を悩ませている様子が垣間見えます。

先のチューリップの活動事例も、
発表者が資金面で苦労していると何度もこぼされていました。

事業性が必要との視点は広がりつつありますが、
その方法については我々も含め模索状態にあるといえます。

キーワードは社会的コンセンサスの広がりにあると私は思います。

 レポート 

(2008/9/26 第114号)


ワールド・カフェとは

9/3,4に東京で開催されたイベント学会10周年記念大会に出席してきました。
堺屋太一会長の講演を始め、わが国を代表するイベントプランナーの方々によるパネルディスカッション、
各地の取り組み事例発表など、盛りだくさんな内容でした。

共通するのは、まちづくりや環境を目的に、関係者のネットワーク形成を重視する
あくまで手段としてイベントを位置づけていることです。

かつての大掛かりなパビリオンを主体とする博覧会型イベントから
地域に根ざし、コミュニティの形成を志向するソフト型へ。
社会起業家の誕生にも言及しています。
時代の変化と共にイベントのあり方も変わってきています。

交流会の場では、プロデューサーの宮本倫明氏から問題解決の新しい手段として
”ワールド・カフェ”という手法を教えていただきました。

これはカフェのようなくつろいだ雰囲気の空間で
各テーブルごとの議論の中で思いついたアイディアをテーブルクロスに書き込む。
時間をこまめに区切り、テーブルホストを残して全員他のテーブルにランダムに移動して
新しいテーマでコミュニケーションを図るというものです。

一つ一つのテーマは深掘りすることなく、互いのアイディアのシェアを重視する。
グループ別に別れて議論を形成するKJ法とも違い、
参加者全員のネットワーク形成を目指しているところに特徴があります。

ワールド・カフェについてはまちづくりの何かの機会に、
ワークショップとして取り入れてみたいと考えています。

(2008/9/10 第112号)


河内音頭の原風景

八月も後半になり、ようやく暑さも峠を越した感じですね。

先日、八尾の常光寺の盆踊りを見てきました。

いわずと知れた河内音頭発祥の地のひとつ。
(起源については諸説あるのでこんな言い方になります)

河内音頭というと
鉄砲節に代表されるような
威勢のいい掛け声や身振りがすぐにイメージされますが
この常光寺で踊られる流し節正調河内音頭は
かなりゆったりした舞いです。

掛け声もお馴染みの
「エンヤコラセードッコイセ」
ではなく
「ヤレコラセードッコイセ」と
「ソラヤレドコサ ソラヨイヤサノセ」
と、いつものエネルギッシュな河内音頭を想像される方は
ちょっと勝手が違う節回しです。

室町中期に遡る古い形態を伝えているそうです。

この常光寺を取り巻く付近一帯は
私が小中学生の頃の放課後の遊び場のひとつでした。

近くの書店や駄菓子屋で買った本やお菓子を
お寺の境内で開封して楽しんだものです。

久しぶりにかつての通い道を歩くと
まるで変わってしまった建物の間に
昔と同じ家並みがありました。

夕暮れの境内で開演前の櫓を見上げながら
しばし昔を懐かしんでいました。

毎年地蔵盆の頃となると夏の終わりを感じさせます。

厳しくウンザリすることの多かったこの夏でしたが
それでもこれで終わりだと思うと
一抹の感慨を覚えます。

(2008/8/28 第111号)


環境の変化・伝統の変化

暑中お見舞い申し上げます。

相変わらず酷暑が続きますが、皆様お変わりありませんか?

この暑さ、地球温暖化の影響とも囁かれていますが、異常なことだけは確かです。

大阪市内をガイドしていると、キタやミナミのコンクリートの照り返しは半端ではなく、
東京はもとより、九州・沖縄から来られた方が「暑い暑い」と唸っていかれます。

照り返しだけではなく、エアコンが発する高熱や緑地帯の少なさなども猛暑に拍車をかけているようです。
よく言われていますが、大阪には視覚的な涼しさを感じさせるスポットも少ないのです。

先日はとんぼりリバークルーズでガイドしましたが、無風状態で
涼を求めて乗り込んだ乗客のみなさん、汗だくでうんざりした表情でした。
ガイドをしていて申し訳なくさえ感じるほどでした。

温暖化とは別次元の地域固有の都市問題として、
対策を打う必要があると問題意識を持ちます。

 *

話し変わって夏祭りの話題です。

先日、堺市の大魚夜市へ行ってきました。
魚のセリをメインとしたイベントだそうで、
私はてっきり近年始まったものとばかり思っていましたが、
起源は何と鎌倉時代に遡るというではありませんか?

伝統の行事だったのですね。

メイン会場をぐるり取り囲んだセリ台には
漁連や行政、地元NPOなどのブースが並び
「エンゼル堺」と書かれたタスキをかけた
浴衣姿の若い女性がゴム手袋に鯛や蟹を手にして
セリ客を呼び込んでいました。

予想に反してどこもかわいらしいセリ声です。
ゴツイ漁師の独特のダミ声はなかったです。

会場に飾られた半世紀ほど前の夜市の写真を見ると
ガタイのある、真っ黒に焼けていそうなランニングとハチマキのおっさんが
鯛を両手に持って叫んでいました。

数十年前まではこのような光景が健在だったのでしょう。

時代の要請と共に、伝統行事もイベント化します。

これも時代の流れでしょうが
物足りなさを感じるのは私だけでしょうか?

(2008/8/8 第109号)


大阪観光シンポジウムに参加して

7/5(土)グランキューブ大阪にて開催された、朝日・大学パートナーズシンポジウム
「観光交流時代のアジアと大阪 〜食べあるきが大阪をおもろい街にする〜」に参加しました。
主催は朝日新聞と大阪観光大学でした。

アジア的視点から大阪観光の可能性を探ろうという趣旨ですが、
パネリストの講演の他、同大学の学生による研究発表ともいうべきポスターセッションも
ロビーにて行われ、なかなか頑張っているなと興味深く拝見しました。

発表テーマが新世界・堺・河内と、いずれも私となんらか係わり合いがある場所ばかりでしたので、
説明している学生に日頃まち歩き等を通じて感じる疑問点をぶつけてみました。

それは観光戦略を行ううえで、リピートの仕掛けがないということです。
ハード面では案内板や休憩所、トイレなどのインフラの整備不足であり、
更に重要なソフト面では地元の受け入れ態勢ができていない点です。
つまりサービス業としての観光産業盛り上げに向けた意識の高揚がないということです。

私の質問に対し、現地リサーチを行った学生は同感であると返答し、
意識の転換こそが大阪観光共通の課題であることを確認しました。

実はこの問題点はパネリストによる講演の中でも指摘されています。

中国・韓国・台湾を始めとするアジアから大阪を訪れる観光客数は
毎年過去最高を記録し続けており、牽引するのは年間2000万人が来日する中国です。
ただし、中国人の旅行は団体によるものと決められており、周遊するコースも定番が決まっています。
大阪観光もそのルートに則ったものであり、大阪城やUSJ、ミナミなどが該当します。

今後、中国の個人旅行が解禁された後、二度三度、大阪を再訪してくれるかわからないとの指摘がありました。
受け入れ側の体制が十分海外からの旅行者の立場に立ったものになっておらず、
その不安要因は至るところで見受けられるということです。
現状に安穏としていられないという警句です。

「売り手と買い手のミスマッチが起こっている」
「大阪の人たちがこの街の生活を楽しまないと、よそから人は訪れない」
「大阪人は個々の個性が強い分、横の繋がりが薄い」
など、結構耳の痛い話もありました。

また、シンポジウムではライフスタイルのイノベーションや
社会経済構造の変化を背景とした観光産業の意義を国際的な流れの中で取り上げられ
観光立国を急ぐよう提言されていました。

ここで提起された諸々の指摘は、今後の観光まちづくりに取り組む上で多くの示唆となりました。

●大阪観光大学によるシンポジウムのレポート 

(2008/7/15 第107号)


堺市の挑戦

南海や阪堺線に乗車すると、最近やけに堺市に関する広告が目に付きます。
鉄砲鍛治屋敷や茶の湯、大仙古墳(仁徳陵古墳)など。
堺で開催される祭りやイベントもプッシュしてきています。

この数年、観光堺を強烈に打ち出してきているのを感じます。

私もそれにつられて、時折、堺のまち歩きや和菓子めぐりなどをして楽しんでいます。

先日、堺市の観光部の方から、同市の観光戦略についてお話を伺う機会がありました。

それによると、観光部の設置、国交省からの出向の受け入れと、
堺市は始めから確固とした意図を持って観光戦略に乗り出したことがわかります。

また、JTBのような旅行会社からも人材を確保し
民間のノウハウを積極的に取り入れたということです。

観光パンフレットやポスター、4ヶ国語対応のPRDVDの作成、
旅行エージェントやメディアへのプロモーション活動、
観光案内所の開設とレンタサイクルの開始、サインの充実…
と、これでもかというくらい観光振興に本腰を入れてます。
果ては関空トランジット・ツアーを岸和田市から変更させるなど、
当局の本気度が伺え、なかなか興味深い内容でした。

その甲斐あって、観光を目的とした堺市への訪問は着実に増えているそうです。

ただ、私がまちを歩いた実感では、堺が観光都市として
認知されるまではまだまだ時間がかかるなという印象です。

確かに歩いてみて面白いし、隠れた魅力が詰まっているまちです。
でも、個人的趣味嗜好から離れてみると、
これは観光要素としては穴場狙い・お宝発見的な
マニア向けの企画としては有効でも、一般向け(しかも全国と外国)ツアーとしてはどうかという気もします。

更に、ロケ地や爆発的ヒット商品など、
何らかの理由で堺が全国的にクローズアップされ、人気沸騰となる起爆剤が必要だと思います。

店舗や観光スポットなど受け入れる側の問題としては、
観光地=サービス業としての意識付けが根付いていないと思います。

まずは地元の人がわがまちを面白いと感じ
この魅力を誰か他所の人に教えたいと思うようになってくれることから
観光都市としての売り込みはスタートするのではないでしょうか。

幸い、昨年、通常は未公開の鉄砲鍛治屋敷が一般公開された折、
堺市民が長蛇の列を作り、案内役の家のご主人が終日食事はおろか、息抜きさえもできなかったそうで、
市民の潜在的な関心の高さが窺い知れたことに今後の期待が持てます。

堺の観光都市戦略、どのように展開していくのか、大阪市との比較の上でも見ていきたいと思います。


  堺観光コンベンション協会 

(2008/7/1 第106号)


イベント学会 金曜サロンに参加して

堺屋太一氏が会長を務めるイベント学会の定例交流会、
金曜サロン(キンサロ)が初めて大阪で開催されました。

イベント学会は、イベントをコミュニティの賊活剤として、地域振興の起爆剤として、企業活動の活性剤として、
社会の変化を推進する原動力として捉え、その複雑多様な世界を体系的に学ぶ新しいイベント学を開発し、
育てるための交流と創造の場として設立された団体です。
キンサロはその中で交流の場として位置づけられており、イベント学会会員や関係者だけではなく
広くイベントとイベントがもたらす社会変革に関心のある方なら誰でも参加可能です。
500円払えば、講師もスタッフも一参加者としての立場となります。東京では毎回学生の参加も多いようです。

YUI企画は今回、会場の設営や受付、飲食物の手配など、交流会の下準備をお手伝いしました。

内容はまず、大阪府立大学の橋爪紳也教授によるプレゼンテーションがありました。
橋爪教授が関わる『サラゴサ万博の紹介』でした。愛地球博もそうでしたが、
環境がテーマとなるのはこれからの時代に必須でしょう。

その後は、参加者をグループ分けしたうえで交流タイム。お互い前へ出て他己紹介をします。
とにかくフラットに、という小林事務局長の意思を感じさせます。

顔ぶれを見渡すと、個人的な知人も何人かはいましたが、
殆どがイベント企画を専門に手がけてられる方ばかり。
しばしばイベント関係でお名前を耳にする方もおられ、関西にも人材がまだまだいるのだなと再認識しました。
関西の地域力発信のひとつの場となればと思います。

今後もキンサロは続ける方向ですので、興味がある方はお気軽にご参加ください。

 イベント学会 

(2008/5/7 第101号)


さの町場

能楽師と行く和泉めぐりの打ち合わせに泉佐野まで出かけ
さの町場をめぐりました。
狭く入り組んだ路地。立ち並ぶ蔵。かつての漁村の面影はかろうじて留めていました。
私たちが歩いた路地もかつての目抜き通り。
どの家の前にも植木鉢が並んでいます。特に成金草の植え込みが多いのが特徴です。
地元の豪商(飯野家、唐金家)にあやかりたいという気持ちからでしょうか。

かつて銭湯だった場所で陶芸をしている工房を訪ねました。又喜釜といいます。
屋内は番台や脱衣籠、体重計や入浴料金表までそのままに残っていて
そこにところ狭しと作品が置かれていました。
主の西野元成氏は悠々自適。作品づくりの傍ら、浜へ行って天草を採ってくるのが日課です。
家の前には天草が干してありました。
じっくり乾燥させて煮込み寒天を作る。西野さんの手作り寒天をよばれました。
砂糖をかけるだけのシンプルなもの。
ボリュームたっぷり、磯の匂いもします。天然物のおいしさです。
寒天に続いて羊羹もいただきました。こちらは小豆を入れたもの。
甘さも程よい加減です。お茶は抹茶を自作の器に入れて出してくれました。
少し立ち寄っただけなのにこの贅沢。
なんて魅力的なところなんだろうと、一挙にさの町場が好きになりました。

(2008/4/22 第100号)


関西まちづくり協議会/まち・みらい倶楽部

関西にまた新たなまちづくり団体が誕生しました。

大阪市まちづくりフレンズの有志が立ち上げた関西まちづくり協議会/まち・みらい倶楽部。
4月より本格始動しました。

活動内容は大阪市及び近隣地域に関する様々な「まちづくり」関係の課題について、
民学産官が協力して調査・研究を行い、その成果結果の発表と相互交流を図ることを通して、
市民生活の向上と地域の発展に寄与することを目的としています。

会員は泉北ニュータウンや自転車タウンづくりなど、既に各方面で実績のある方も多く
それぞれのスキルを活かした活動が望まれます。

これからの活躍を期待します。

関西まちづくり協議会/まち・みらい倶楽部

(2008/4/22 第100号)


大阪城公園の桜見回り隊〜真田丸

今年はちょっと遅いかなと感じつつもこの数日で大阪でも桜が一斉に咲き始めました。
本格的な花見シーズンに突入です。

既に大阪城公園や桜ノ宮大川沿いではあちこちで花見に興じる人々の姿を見ることができます。

本来は花を愛でながら、春の訪れを喜ぶ風習であった花見も
近年は宴会そのものが目的化し、イベント、ショー化してきました。

同時に様々な問題を引き起こすようになってきました。
ゴミや騒音、桜の樹を始めとする環境への悪影響等々マナー違反の行為が目立ってきました。

ちょうど一年前、NHKの「ご近所の底力」で花見のマナー問題が取り上げられました。
そこでは桜を折ったり、キャンプファイヤーにくべたりする惨状が紹介されました。
枯死する桜の映像も流されました。

私も縁あってこの番組に出演したのですが、余りのひどさに愕然とした記憶があります。
番組収録の終了後、出演者で会合を持ち花見のマナーアップを呼びかけよう、
市民サイドから運動を広めようという話になり市民団体真田丸が結成されました。

通常は月1回の公園清掃活動をしているのですが、再び花見シーズンが到来したことにより、
宴席をまわって花見客にマナーアップを呼びかける桜見守り隊の活動を始めることになりました。

既にメンバーの有志は始めており花見シーズン終了まで毎日巡回を続けています。
そして相変わらずひどい状況だと報告を受けています。

私も先日夜回り隊に初参加しました。寒さがぶり返してきたせいか、花見客は少なかったです。
ゴミの持ち帰りを促すと、みんな「わかりました!」と元気よく返事をしてくれるのですが、
そのままそ知らぬ顔で置いていくグループもあるようです。

幸い、先日の関西TV「アンカー」読売TV「ミヤネ屋」などで活動の模様が放映されたり、
いくつかの新聞で記事になったため関心を呼び、公園事務所に問い合わせが殺到したそうです。
おかげで公園局も活動への協力姿勢もかなり積極的になりました。

私としては、運動を大阪城公園だけに限らず、できるだけ多くの方に参加してもらい、
各自の地元に持ち帰ってくれれば、大阪全体のマナーアップに繋がる、そんな願いも持っています。

社会全般のモラルの低下が指摘される中での公共マナーが問われています。
真田丸を一例として、市民主体のマナーアップの運動を広げたいと思います。

(2008/4/3 第98号)


花見のマナー〜市民団体真田丸の活動

桜の咲く頃が近づいてきました。桜といえばなんと言ってもお花見!
みんな陽気に桜の樹の下で浮かれています。
でもアルコールの量が過ぎて、はた迷惑な行為をしていませんか?

近年花見のマナーの悪さが、各地で問題となってきています。
ブルーシートで場所の占拠、酒を飲んでの大騒ぎ、残された大量のゴミ…。
単に騒音やゴミ問題だけではなく、桜の樹の生態系にも重大な影響を与えているのです。

そうした問題提起として昨年NHKの人気番組「ご近所の底力」では
大阪城公園の花見のマナー問題を取り上げました。

この番組をきっかけに、地元住民、大阪城甲冑隊、大阪城を愛する有志で
市民団体「真田丸」が結成されました。

そして1年が過ぎ…

普段は毎月大阪城公園で清掃活動をしている真田丸ですが
花見シーズンを控え、いよいよ本来の目的である花見マナーの啓発活動に乗り出します。

3月28〜30日、4月4〜6日の週末3日間の夜間
夜桜見物の席を回ってマナーアップを訴えかけていきますので
大阪城公園で花見を予定されている方はご協力を宜しくお願いします。


 ◎NPO大阪城甲冑隊 
 ◎ご近所の底力        
   

(2008/3/23 第97号)


女子高生チヨ

シニア大楽関西のおしゃべり交流会に参加しました。
当日は60歳を過ぎて夜間高校に入学、無事卒業された藤井千代江さんのお話を聞きました。
祖母と孫ほども年齢の開きがある10代の学生たちとともに送った高校生活を
活き活きと語る様子は自然体で魅力的でした。
また、今の若者が抱え込んでいるモノを少しだけ垣間見た気がします。

藤井さんは「ホタルノヒカリ」の原作者、漫画家のひうらさとるさんの母親で、
現在『Beth』で連載中の「女子高生チヨ(64)」のモデルです。
藤井さんの高校生活は「女子高生チヨ」で詳しく描かれていますので
ぜひご覧下さい。

(2008/3/11 第96号)


女性の活動する環境

YUI企画では、2/24にセミナー「活かす女性の作り方」を開催します。
今回講師を務めるお一人の山田真由子さんは滋賀県で活躍される女性社労士です。
企業の労務相談を受ける中で、キャリアについて深く考えるようになり、
本業の傍ら、求職、起業に関するサポートを幅広く行っています。

目下は女性を取り巻く就労の問題に取り組んでいます。
今回のセミナーもその一環で、キャリアコンサルタントに基づくキャリアデザインの作成と
パーソナルカラー診断を用いた自己分析の両面から、
女性の働き方(社会活動の仕方)を提起します。

山田さんの活動のニーズが示すように、女性の社会進出といわれながらも
社会全般のインフラの未整備、男性側、女性自身の意識の変革など
手をつけるべき課題がまだまだ多い現状です。

先日は山田さんとともに、福岡で子育て環境の改善に取り組む
株式会社フラウと代表取締役の濱砂圭子さんを訪問しました。

出産後、地元で子育てに関する情報を得ようとしても
東京中心の情報ばかりで役に立たない。
ならばいっそのこと、自分たち子育てで困っている母親自らが
福岡の子育て情報を集めた雑誌を作ろうということになり、活動が始まりました。

創刊された雑誌「子づれ DE CHA・CHA・CHA!」は、主婦が手がけた地方発の子育て雑誌として
各方面の話題となり、福岡都市圏では店頭から姿を消す書店が続出したそうです。
地元に即した点と生活者の視点から発信された点とが
同様の悩みを持つ母親のニーズを満たしたということでしょう。

活動の幅も広がり、全国の子育てネットワークの構築や医療、地域と、
さまざまな提言、プロデュースを行っています。

濱砂さんと実際お会いして、全身からみなぎるパワーに圧倒されました。

問題意識を持ったらすぐ実行という行動力、フットワークの軽さと
困難に直面しても決して挫けず、「必ずできるんだ」という強い信念、
それに「黙っていてはいつまでも何も変わらない」という主体意識を感じました。

生活者としての女性が発する声に地域社会が変わりつつあると思いました。

 ◇株式会社フラウ  
 ◇山田真由子社会保険労務士事務所  

(2008/2/22 第94号)


シニアの生きがい作り

設立直前のシニア大楽関西を訪問しました。

天満橋駅よりほど近い一角にある大阪文化会館にオフィスと教室があります。
こじんまりした教室は15名ほど入れるくらい。
大きなモニターとビデオプロジェクタがありました。
この教室でシニアの方を対象にした諸々の講座が開催される予定です。

団塊の世代の大量退職に伴う生きがい作りや職場・産業構造の転換などが
大きなテーマとして取り上げられていますが、
シニア大楽関西の主宰である石黒さんの構想では
この場をシニアのリタイア後の趣味の教室だけにするつもりはなく
彼らのスキルを活かした仕事作りも求めていきたいとのこと。

それが実現すれば、地域に根ざした新しい産業が生まれそうです。
これからのご活躍に期待します。

(2008/2/12 第93号)


イベントによるまちづくり

この度YUI企画はイベント学会に加入しました。

イベント学会は、”独立化した人々を
再び交流とコミュニュケーションの場に呼びもどす統合装置として機能してきた”
イベントについて現代に即した新しい視点で考察し、
育てるための交流と創造の場として設立された団体です。

大阪では新しく知事になった橋元氏が
財政再建の一環として、御堂筋パレードを始めとする大型イベントの
廃止を含む見直しを表明して物議を醸しています。

今の時代、官製主導の大規模イベントは必要か?
このイベントが大阪のまちに果たしてきた役割とは?
続行するなら今後どのような性格のイベントにするのが望ましいのか?
そもそも市民が継続を望んでいるか?
規模を縮小してまで続ける意義があるのか?

今後、立場立場によって様々な意見が百出することでしょう。

YUI企画においても今回のイベント学会入会を機に
私たちの役割、担うべきイベントのあり方を見つめなおす機会と心得たいです。

 イベント学会 

(2008/2/5 第92号)


和歌山市のまちづくり活動

和歌山市内のまちづくり活動を見学してきました。

まずは猫のたま駅長やいちご電車で話題を呼んだわかやま電鐵。

JR和歌山駅から貴志駅(紀の川市)を結ぶ路線を運行しています。
元は南海電鉄の貴志川線でしたが、慢性的な赤字路線のため南海が撤退を表明、
その後住民を巻き込んでの存続運動が展開されました。
NHKの「ご近所の底力」が存続運動のきっかけとなったことも特筆されます。

運動の結果、南海は撤退しましたが岡山電気軌道が継承事業者として名乗りを上げ
わかやま電鐵が発足、2006年4月1日より運行を開始しました。

その後は電鉄会社と自治体、地域住民などで構成された運営委員会が
運営の最高意思決定機関として、先に挙げたような様々な企画を打ち出しました。

市民が鉄道経営に参加する話題性と企画のユニークさが受け、
初年度の利用者数は対前年10%増の好成績を残し、再生に向けた灯が点りました。

当日はいちご電車に続くユニーク列車のおもちゃ電車に乗車して
わかやま電鐵本社に向いました。

そのおもちゃ電車。車内に入るといきなり度肝を抜かれました。
動物をかたどった座席。可愛らしい座布団、暖簾。
なんと揺りかごが備え付けられています。中には赤ちゃん用の枕も。
車内に取り付けられた棚。その中に飾られていたのは人気フィギュアの数々。
ガチャガチャの販売機もあります。
車体をラッピングした程度に考えていた常識が瞬く間に崩されました。

「日本一心豊かなローカル線になりたい」

本社で電鉄の渡邉常務は会社の理念として仰られました。
”心豊か”がキーワードです。言い換えれば人の肌の温かみではないでしょうか?

会社の経営姿勢をお聞きしてもそんなニュアンスが漂ってきます。
曰く、「当たり前のことを当たり前にする」曰く、「お客が喜ぶことをする」
「他の交通機関との融和を図る」「普通の努力をする」

本当に当たり前のことですが、現実にはそれが出来ている企業が非常に少ない
〜特に鉄道事業者は一般の企業並の営業努力もしていない〜と指摘されていました。

乗客=消費者の喜ぶことをキャッチするために
毎月定例の運営委員会は誰でも参加できるオープンなものです。

最後に挙げた経営姿勢も
「美しい路線にしていこう」でした。

たま駅長は日曜日はお休みで会えませんでしたが
和歌山市内に戻り、中心市街地の活性化活動を見学しました。

和歌山城に程近いぶらくり丁は、江戸時代以来続く城下町最大の繁華街でした。
買い物客は県内各地からよそ行きの格好をしてここを訪れ、
この場所に店を構えるということは一流の証でした。

しかし、全国の他の中心市街地と同様、
モータリゼーションの進展とドーナツ化現象、郊外の大規模商業集積の出現、
商店街自体が孕む保守性などの諸要因により90年代以降衰退し、
ぶらくり丁はシャッター商店街と化してしまいました。

地元の老舗百貨店丸正が倒産し、4館あった映画館は全て廃業を余儀なくされました。

そこで市民による活性化運動が始動、個々の運動はやがてわかやまNPOセンターという
中間支援組織の結成に辿りつきました。

わかやま電鐵でもご一緒でしたNPOセンター理事の志場さんと、
県職員でふるさと推進課課長の谷脇さんに、ぶらくり丁の再生活動についても
お話をお伺いしご案内していただきました。

期間限定で設置されていたオープンカフェwith。
地元の有力商店がスペースを貸してくれ、学生が運営しています。

和歌山市内のまちづくり活動は学生が大きく関わっているところが大阪と違う点です。
産官学の協働というところでしょうか。

多くの大学生が交代でカフェの運営に携わっていました。
ちょうどこの日は裁判員制度スタートに伴う啓発イベントが開催されていました。

丸正百貨店の跡地は地元の企業が買取り、複合商業施設として部分オープンしました。
他、空き店舗を活用した子育て支援センターやチャレンジショップの入居など行なわれています。

また、市街地をパレードする「おどるんや〜紀州よさこい祭り」は市民主体の恒例の行事になりました。
「おどるんや」のビデオを見せてもらい、その熱気を感じ取りました。

志場さんは、和歌山はまだまだお上意識が強く保守的な土地柄であるので
制約は非常に大きいけれど、その中から危機意識を持って
地域を活性化しようという市民が出てきてくれるようになったと仰ってました。

制約があるから頑張れることができる、地域がコジンマリまとまっているからできることがある。

和歌山の視察から学んだことです。

わかやま電鐵 
わかやまNPOセンター 
和歌山県NPOサポートセンター

(2008/1/28 第91号)


初詣のイベント化

あけましておめでとうございます。
旧年中はYUI企画へのご支援、ご声援ありがとうございました。
本年も宜しくお願い致します。

みなさまはお正月はどのように過ごされてますか?
私は遠出をせず近場の神社へ初詣に行くくらいです。

初詣は昨年より地元となった住吉大社でした。
ここは余りの参拝客の多さに、太鼓橋を渡る人の
人数制限が行われていました。

他にも石切神社や大阪天満宮などへも行きましたが
どこも凄い人の波でした。
年々凄くなってきているような気がします。

逆に、地元の小さな神社などは元旦だというのに
殆ど人影が見えません。
以前はここまで人がいなかったかなと思うのですが。

初詣の場所にも一極集中が見られます。
初詣のイベント化が進んでいるということがいえるかもしれません。

(2008/1/5 第89号)


混沌から生まれるもの

2007年も残り十日をきりました。

YUI企画にとっては念願のLLP設立を果たした感慨深い年でした。

しかし社会全般を眺めると、今年を表す漢字の「偽」が示すように
これまでの既成概念や確かなものだった筈の信用が音を立てて崩れた年でありました。

一連の事件は従来の価値観が転換を迫られている時代の現象だと思います。

身近なまちづくりの活動においても、従来の補助金バラ撒き型、
ハード中心志向がいよいよ成り立たなくなってきたという印象を受けます。

これまでの、如何にお金を引き出してくるかを競った時代から
本当の地域を活かす場を作り出すようなアイディア勝負の時代へ。

担い手の意識も姿も変わってきました。
まちづくりも曲がり角に差し掛かってきたということでしょう。

ともあれ間もなく新しい年を迎えます。

2008年は混沌の中から新たな「真」が生まれますことを。

(2007/12/24 第88号)


高安を歩く

高安山は生駒山地のやや南部にある山です。
大阪府八尾市に属しています。

近鉄信貴線の信貴山口駅よりケーブルを使って登り、山道を歩くと、
山頂付近には観測所(高安山レーダー)があります。
近畿一円(及び中国四国の一部)の気象情報をここで集めています。

観測所の脇には高安城の碑が立っています。
大和朝廷軍が白村江で唐・新羅連合軍に敗れた後、天智天皇が国の防御として築いたという城の遺構です。

ケーブルの山頂駅からは信貴山方面のバスが出て、奈良県に入ります。奈良県側を下りると王子町です。
古来和歌に詠まれた竜田川はこの地で大和川に合流します。

河内国高安の里にいる娘の元に在原業平が通った道は、
ここから生駒山地の十三峠を越えていったという説と、
大和川をそのまま下り、大阪府柏原市から入ったという説とがあります。
十三峠の方の道は業平道と呼ばれました。

俊徳丸は伝説上の人物。
詳しくはイベント情報をご覧頂くとして、俊徳丸が通った四天王寺と高安を結ぶ道は
俊徳道と呼ばれるようになりました。近鉄大阪線に俊徳道駅があります。

また、大阪市の玉造とここにある玉祖神社を結ぶ道は玉祖道と呼ばれたそうです。
なにやらイワレのありそうな。 

私自身、八尾で育ちましたので、何でも知ってるとうぬぼれていた面もありましたが、
今回企画する山麓巡りを通じて初めて知ったことの多いこと。
地元民ほど案外地元の歴史は知らないものですね。

八尾には他にも聖徳太子や道鏡など、日本史の主人公たちの痕跡が数多く残っています。
中世には宗教都市として発達し、久宝寺寺内町などは今に町並みを残しています。

高安駅に程近いいずみ苑ではこれら八尾の歴史的価値を高めていく活動を続けています。
決して河内音頭だけのまちではありません。
八尾の知られざる魅力を知ってもらいたいということだそうです。

機会があれば一度お立ち寄り下さい。

(2007/10/13 第81号)


世界陸上とミスト効果

残暑お見舞い申し上げます。

お盆休みをいかがお過ごしでしょうか?それにしても暑いですねぇ。

15日は群馬県館林市で40度を越えたということですからこれはもう酷暑といっていいほどですね。

大阪も結構暑い都市です。

まちガイドをしていると、関東は勿論、九州から来られる方からも「大阪は暑い暑い」と一様に聞かされます。
このような都市部のヒートアイランド対策として大阪市内の各所ではミスト散布が試験的行われています。

8月25日から長居陸上競技場で開催される世界陸上のPRを兼ねてのようで、
心斎橋の大会ブースや会場の長居公園などに設置されています。

確かに、汗まみれの世界陸上のポスターを見た後のミストだと涼しさ倍増でしょうね。

実際の冷却効果がどのくらいあるのか、近年奨励されている打ち水効果との比較など、
考慮すべき点はまだまだ多いですが、見た目の清涼感は確かにあります。

ちなみに長居植物園内の、瓢箪や糸瓜など、
瓜科の植物でこしらえた「緑のトンネル」にもこのミスト装置が備え付けられていますが、
外気温39度に対し、内部は35度でした。

温暖化が進み、暑さ対策が毎年迫られています。  

(2007/8/16 第75号)


参院選〜投票率UPと商店街振興

8月29日は参議院選挙です。

今回は年金問題一色になってしまった感がありますが
政権の行方を左右するとまでいわれている大事な選挙です。しっかり投票しましょう。

選挙の度にクローズアップされるのが投票率。
ここんとこしばらくは毎回低投票率が続き、国民(特に若者)の政治離れとして、
マスコミ始め関係者を憂慮させています。

この事態に、選挙管理委員会もただ手をこまねいているだけではなく人気タレントを起用するなど、
様々な試みで投票率のアップを図っています。

この投票率アップを民間の立場から、商店街の活性化と結びつけた活動が
「選挙セール 〜投票率アップ大作戦 〜」です。

投票に行き、投票所で「投票済証」をもらってきます。
これをセールを実施している地元の商店街に持っていって買い物をすると
各種サービスや割引を受けられるという仕組みです。

東京・早稲田地区の六つの商店街が合同で実施したのが始まりで
投票率の向上と同時に商店街に足を向けてもらえる効果も期待されて
客離れに悩む各地の商店街で採用されてきました。

関西ではまだまだ馴染みが薄い選挙セールですが
大阪・岸和田市の蛸地蔵商店街や神戸市長田地域、彦根市の花しょうぶ通り商店街などが
積極的に参加しています。大阪青年会議所(JC)も音頭を取って参加店、商店街を募っています。

実施地区のお近くの方はこのセールを活用してみては如何でしょうか?

 

◇蛸地蔵商店街   

◇花しょうぶ通り商店街 

 

(2007/7/26 第73号)


七夕伝説の起源

七夕の夜、大阪・交野市の機物神社の七夕祭りに行きました。

ここは織姫こと天棚機比売(あまのたなばたひめ)を祭った神社で、
狭い境内に多くの笹竹が立てられ、多くの参拝客でごった返していました。
みな思い思いの願いを短冊に認め、吊るしていました。

この辺りは古代、長岡・平安遷都において大きな役割を果たした秦氏の勢力圏でした。
秦=ハタ=機 と連想していく中で、中国起源の七夕伝説と結びついたと考えられていますが
秦氏が渡来系であったことも大きな要因でしたでしょう。
遷都を成し遂げた桓武天皇もしばしばこの神社を訪れています。

今はなんてことのないまちはずれの神社ですがこうやって見ていくと密かな歴史のロマンを感じさせます。

(2007/7/9 第71号)


エコなまちづくり

でんきを消して、スローな夜を。

先日エコろうそく能として参加した100万人のキャンドルナイトのキャッチフレーズです。

スローライフ、スローフード、そしてエコライフ。

いまや環境に関する話題を耳にしない日はないといっていいほど
社会生活全般においてエコなるものが浸透しています。
企業も環境への配慮なしには生き残れない状況になってきています。

ドイツで開かれたハイリゲンダムサミットの主要テーマも環境でしたね。

一方で、中国の環境汚染とその影響、地球温暖化に伴うとされる生態系の変貌、CO2の削減目標など、
怒涛のような現実があります。

食の安心・安全に対する関心の高まりも自然環境との調和が背景にあるといえるでしょう。
目下世間を騒がしている食肉の偽装はこのような意識の変化の元では発覚すべきものでした。

それだけこのテーマは待ったなしの状況なのです。

まちづくりの現場においても環境が大きなキーワードとなっています。

エコな乗り物自転車の普及、キャンドルナイトやマイ箸の使用に見られるような資源の節減、
清掃活動、ヒートアイランドを抑えるための緑化の促進や打ち水の奨励など。

身近なところから守りたい。様々な取り組みが始まっています。

この欄でも随時事例をご紹介していきます。

(2007/6/27 第70号)


さよならフェスゲ

新世界のフェスティバルゲートの売却が決定しました。

都市型遊園地として華々しくデビューしたものの、その後の凋落はご周知のとおり。
大阪市のハコモノ破綻を象徴する施設になってしまいました。

この間、フェスゲをなんとかしようと、地元・新世界の商店主や入居するNPO関係者などが
頻繁に勉強会を開き、様々な活性化案が検討・提示されてきただけに、本当に残念な結果です。

ともかく、数年間たなざらしにされてきたこの建物が今後どの様に姿を変え、
地域社会に結びついていくのか注目していきたいと思います。

(2007/6/4 第68号)


御堂筋70年

沿道に映える銀杏並木が印象的な御堂筋。

文字通り大阪のメインストリートとしての役割を果たし続け、この度、完成から70周年を迎えました。

第7代大阪市長・関一(現市長の祖父)の計画により1926(大15)年着工、
1937(昭12)年5月11日に完成しました。

40mを越える、当時類を見ない道幅に、「街の真ん中に飛行場でも作る気か?」と多方面から批判、
揶揄されたというのはあまりにも有名な話です。

ときあたかも、第2次市域拡張で大阪市の人口が全国一となった大大阪の時代でした。 

先ごろ、この70周年を記念して「御堂筋オープンフェスタ」が開催されました。

御堂筋の道路空間を地域活性化に活用することを目的としたイベントで、
企業・公的機関のデモンストレーション的色彩の強い御堂筋パレードとは異なって市民主体を謳っています。

長堀通りから千日前通りまでの約850mを車両通行禁止にして、
ジャズやアート、ダンスなど、空間を使った様々なイベントが行われました。
市民参加型のイベントとして、まずまず成功している方ではないでしょうか。

一方の御堂筋パレードも、今年から市民参加型のイベントへと大きく舵を切りました。

お上から与えられるイベントから市民主体の参加するイベントへ、
一過性のお祭から継続するまちづくりへ〜時代の変化がみてとれます。

また大阪を代表する公共空間としての役割から、側道を自転車専用道にする試み、
路上喫煙禁止区域への指定など、様々な社会実験もこの御堂筋において行われてきました。 

現在、沿道の景観を保ってきた、戦前の百尺制限を始めとする
沿道建築物の高さ制限の見直しの動きがあります。

キタやミナミの再開発に対抗して、御堂筋のビジネス街でも再開発して経済活力を、という発想です。
この動きに対し、大阪市民はどのような反応を示すでしょうか。

御堂筋情報はこちらのサイトで              

(2007/5/24 第67号)


大阪の駐輪問題

もはや全国的な社会問題といってもいいでしょう。
駅周辺や繁華街に置かれる放置自転車、不法駐輪など、歩道や建物の出入りを塞ぐ駐輪問題です。

このような不法駐輪は全国に54万台にも上るそうで、
大阪市内中心部でも、千日前や心斎橋、本町などの拠点単位で1000〜3000台に及びます。
駐輪場の圧倒的な不足と利用者のモラル低下がその大きな原因といわれています。

行政も規制や駐輪場の確保など様々な取り組み、実験を行っていますが、効果はどれも限定的です。

以前行った道頓堀通りの自転車乗り入れ禁止の実験でも、
周辺地域へ迷惑駐輪が広がっただけというのが実情です。

各地のまちづくり団体においても駐輪問題は大きなテーマです。
そこでは行政との連携を取りながら、地域住民が主体的に独自の駐輪対策をとっています。
キャンペーンの展開や植栽の設置による独自規制、駐輪スペースの確保など。

周防町など、地元商店・地域住民の自主的努力によって少しずつですが効果が出始めてきた場所もあります。やはり地域ぐるみの活動が欠かせないものでしょう。

以前、花見のマナーアップで出演したNHKの「ご近所の底力」では、コメンテーターの大学教授が、
「日本人は、“公共の場”を“誰のものでもない場”と考えがち。マナーの悪さを改善するには、
“誰のものでもない場”を“みんなの場”に意識転換することが重要」と述べていましたが、
駐輪問題にもこの意識転換は当てはまるようです。

最近、まちの活性化の一環として、住民の手による駐輪問題への取り組みが日本橋1丁目、
通称”日本一”の交差点周辺の地区から始まりました。

市内でも有数の放置自転車エリアの問題解決にYUI企画も知恵を絞って参加しています。

ただ、昨今の風潮に自転車悪玉論が幅を利かせているのが気になります。
駐輪のほか、ルールを守らない暴走行為も問題視されているのです。

でも、自転車はCO2を排出しないスローな乗り物。
特に都市部においては、渋滞の緩和に自転車が一役買いそうです。
ここは歩行者と自転車が共存しうる環境を実現することが大きな課題でしょうね。

(2007/5/15 第66号)


まちのリサーチ

”貧乏暇なし”とはよく言ったもので、気がつくと桜のシーズンはとっくに終わり、
G.W.が間近で、何故か焦ってます。

大阪城の花見のマナーに続き、市内中心部の駐輪問題に関わってます。

先日も周防町から長堀方面にかけてリサーチしました。

路上駐輪の原因としてよく言われるのが、駐輪場がないこと。
果たしてそうなのか、よくよく調べてみると、意外に活用できるスペースがあるということが分かりました。

個々の権利関係など、クリアする課題は多いでしょうが、決して不可能なことではないと思います。
地道な取り組みが求めらます。

(2007/4/25 第64号)


ご近所の底力

NHKの人気番組『難問解決 ご近所の底力』に出演しました。
一緒にガイドをしている方からの紹介です。

今回のテーマは「花見のマナーをよくする」。

大阪城公園の花見マナーを取り上げます。

花見の現状がどんなものかは、番組内の映像を見てもらうほうが説得力がありますが、
とにかく、ひどい、悪いといったレベルではありません。
無法といった方がいいでしょう。これ、今年の光景です。

スタジオに集まったのは、大阪城公園の近辺に住む住人のかただけでなく、
公園内で清掃活動をしている大阪城甲冑隊のみなさん、大阪城に思い入れのある方など、
エリアを区切らず広範囲からの参加でした。
私も含めて全員、他地区の事例を参考に解決策を考えました。

番組をきっかけに、シーズンが過ぎても公園美化活動を続けようという声が上がり、
活動を続けていくことが決まりました。

21日午前10時から清掃活動を始めますが、出来るだけ多くの方の参加を求めます。

(2007/4/17 第63号)


『人生の処方箋(ターニングポイント)』出版記念パーティー

以前ご紹介しましたが、
好きな本を仕事にとインディーズ出版事業を立ち上げられた Dream Doorの佐藤昌浩さんが
念願のテーマ別・会員制投稿型出版企画『人生の処方箋(ターニングポイント)』を出版されました。

本を手にとって見て、これは佐藤さんのストレートな想いが形になって表れたものだと理解しました。

初めてお会いしたとき、佐藤さんは市井の人30人の様々な人生のターニングポイントを
一冊の本として綴りたい、読んだ人の生きるチカラになるような本を出したいと抱負を語っていました。
しかし当時は目標の30人がほとんど集まらず悩んでおられ、正直言ってどことなく自信なさげな様相でした。

しかし夢の実現にかける熱意と努力、何よりも事業にかける佐藤さんの熱い想いと人柄が
共感者を徐々に広げ、人脈の形成に繋がり、やがて口コミの広がりを経て
昨年の夏頃から一気に30人集まり、今回の出版となったのです。

先日、本の出版記念パーティーが開かれ、出席してきました。

この本に投稿された30人の執筆者の大半が来られていました。

そのうちの何人かとお話しましたが、本書のあとがきでも述べられているように、
人との出会いやご縁を大切にされている方ばかりだなという印象でした。

各執筆者の人生のターニングポイントは結婚・離婚・退職・定年・病気入院・肉親の死など様々でした。
ある日突然というのもありました。

大事なのはこれらのめぐり合わせは誰にでもやってくるものですが、
それを転機として活かすのは普段から如何に問題意識、主体性を持って生きているかに
かかってくると思います。 その意味から、執筆者の多くが女性だったのは興味深いことです。

この日の自信に溢れた佐藤さんのお姿を見ると、達成感の喜びと同時に、
目標に向かって進む意志の強さを感じました。 これからの佐藤さんのご活躍を期待します。

Dream Door(ドリームドアー)  

(2007/3/3 第59号)


cafe ca bar ラストパーティー

一昨年の谷町飲み会の会場に使わせていただいた玉造のcafe ca bar(カフェ・カ・バー) が
2月17日(土)を以って閉店します。

cafe ca bar は当会と同名の複合商業施設「結」の1階に入居するカフェバーで、
アンティーク雑貨を取り扱うchanaと共に昭和レトロな雰囲気が味わえる場所でした。
エントランスにあったミゼットに懐かしさを感じた方もおられたのではないでしょうか。

この「結」は空堀の「練」などの商業施設を手がけたからほり倶楽部が上町の新たな交流スペースとして
設計した施設で、上町台地の魅力発信などもここから行ってきました。

cafe ca bar & chana が携わった地域おこし事業で近年の最も大きな話題は、
何と言っても玉造黒門越瓜クッキーの開発でしょう。

地元玉造の伝統野菜の復活とブランディングに加え地元高校の家庭科部の生徒との協働で
開発したことが話題となりました。

このクッキー、今や玉造黒門越瓜を使った地元名物のひとつとして
大阪市内のアチコチの土産物屋で見かけるようになりました。

現在地での営業は終わりますが再び地域活性の拠点として活動を再開したいとオーナーさんは仰ってました。

その日を待ち望みます。

(2007/2/15 第57号)


高津のまちづくり活動

この欄で何度かご紹介していますが、大阪市中央区高津のまちづくり活動が活発です。

古い文化遺産が数多く残る上町台地と大阪を体感するミナミ繁華街を結ぶ位置にあり、
自らも浪花の食卓を彩る黒門市場や、上方落語と縁の深い高津宮、
ユネスコの世界無形遺産に指定された伝統芸能・文楽を演じる国立文楽劇場を有するこの地区では、
小学校での文楽教育や、日本橋駅から文楽劇場へ通ずる地下通路の美装化など、
地域資源を活かしたまちづくり活動を行っています。

活動の中心を担う「高津地区まちづくり推進協議会」の金澤義友氏によれば、
高津のまちづくりに取り組む姿勢は、全住民が参加できる仕組みづくりにあるそうです。

地域に問題があると、すぐに行政や警察・学校などに文句を言う、批判する。 

それだけなら只の責任転嫁に過ぎない、これは結局誰かが解決してくれるというお上任せの発想で、
自らはお客様でいる。

金澤氏は、それでは本当の問題解決にはつながらないといいます。
やはり地域の問題を一番切実に受け止めている者が自分たちの手で問題を解決していかないと、
本当に必要な持続するまちづくりにはならないと強調されます。

昨年秋には若手が主体となった祭りイベントを成功させ、
これまで地域活動には無関心だった若年層を取り込むことができました。

更に人気TV番組を利用した取り組みも始まりました。

テレビ大阪系「なんでも鑑定団」の出張鑑定がそれで、
まちに眠るお宝をポスター・チラシなどを使って広く地域に呼びかけました。
人気番組だけあって地域住民の関心は高く、
応募締切日までに60件を超える応募・問い合わせがあったそうです。

番組収録を地域イベントとして、地域に暮らす人々がまちの歴史への関心を高め、
地域に愛着を持ってもらうきっかけにしようというユニークかつしたたかな取り組みといえるでしょう。

こうした高津の次なる取り組みは、電動自転車を活用した周辺地域との結びつきです。
エコロジーな交通手段としての自転車の評価や、地の利を活かした文楽ゆかりの場所めぐりなどで、
大阪の新たな魅力を全国に発信したいということです。

合わせて日本橋駅付近の駐輪問題や歩行者と自転車が共存できる道路環境、
風俗店が立ち並ぶまちの環境整備を訴えかけるのだそうです。

こうした誰もが興味を引き、参加しやすい活動を提示し続けていくことで、
徐々にまちづくりへの参加の気運を住民に浸透させていく狙いがあるといえます。

そうなったときに初めて真の住民主体のまちづくりが実現するのではないでしょうか。

(2007/2/6 第56号)


たこ焼オーサカ

全国的に知られる大阪の名物といえば、文句なしにたこ焼きが挙がるでしょう。

ソース二度付け禁止の串カツで有名な新世界のジャンジャン横丁をガイドしていても、
必ずといっていいほど「たこ焼きはないの?」とガイド客に尋ねられます。

ことほど左様に大阪=たこ焼きのイメージは強烈です。

先日、春から行うミナミのガイドツアーの事前研修のため、
道頓堀界隈のたこ焼きを一軒一軒食べ歩きました。

ここはたこ焼き王国・大阪の中でも有数の激戦区。

御堂筋から相合橋までの約350メートルの区間に8軒ほどの店が立ち並んでいました。
そんな厳しい環境下で生き残るのは至難の業といえ、どの店も、我こそは大阪、
いや日本一のたこ焼やと文字通りしのぎを削っています。

普段はそれほど気にしなかったのですが、食べ比べてみて、
店ごとの味や大きさ・形状の違いがハッキリ判り、一口にたこ焼きとはいうけれど、
なかなか奥深い世界だのぉ、と妙に感心しました。

パリパリしているのからやわらかいもの、しょうゆ味で勝負しているものと、それぞれの個性を訴えていました。
これだけの競争があると味のレベルも上がるのは納得です。

これほど有名なたこ焼きですが、意外にもその歴史は浅く、
大正時代に屋台で焼かれたこんにゃくを入れたちょぼ焼きが原点といわれています。

昭和初期にはすじ肉を入れたラジオ焼き、牛肉を使った肉焼きなど、粉もんが数多く登場、
その中で蛸が入ったたこ焼きが勝ち残って今に至ったというわけです。

こんな、誕生してから100年もたっていないたこ焼きが、
あっという間に大阪を代表する食べ物になったのはその場で食べられる手軽さと、
蛸という安い割りには食べ応えのある食材を使った点で大阪人の気質に最もマッチしたのかもしれません。

(2007/1/26 第55号)


松鶴師匠の家

新しく住むことになった住吉の町を散歩していて、こぎれいな和風の建物が目に付きました。

表札がかかっていて、「無学亭」とありました。
すぐ横に掲示板があって落語の案内チラシが貼っていました。

調べてみると、実はここは故六代目笑福亭松鶴師匠の旧宅だそうで寄席として改造したものだそうです。
現在は一門の鶴瓶さんらが管理運営していて、毎月無学の会というのを開いています。

居住地近くの意外な発見でした。

それにしても、こんな住宅地の真中に落語が聞ける場所があるなんて。

上方落語とともに歩んできた大阪のまちならではの風景ではないでしょうか。

谷町九丁目の高津宮の境内にも富亭と呼ばれる寄席があり、
故桂文枝一門が毎月ここで「くろもん寄席」を開いています。
私もここで今年の初笑いをさせていただきました。

他にも阿倍野・東住吉での田辺寄席というのも地域に根付いた落語会として有名です。

そして、もはや新たな大阪名所といってもいいでしょう。天満天神繁昌亭の人気ぶりです。

大阪における落語文化の浸透度の深さが伺われます。

○無学の会(笑福亭鶴瓶公式サイト)  

○高津の富亭(高津宮ホームページ) 

○田辺寄席  

○天満天神繁昌亭 

(2007/1/16 第54号)


年が改まるということ

新年あけましておめでとうございます。

2007年を皆さまはどのように迎えられたでしょうか?

新年にあたり、新たな決意をされた方も多いのではないでしょうか?

考えてみれば、元旦といっても昨日の続きで、そう劇的に何かが変わるものではないでしょう。
長い人生の中では誕生、入学、就職、結婚…と、もっと重要な場面がいくらでもあるはずです。

それでも年が変わり、リフレッシュした気分になるのは、1年365日という規則性があるからだと思います。

今存在している全ての人とケジメを共有する機会というのは、考えてみればそんなに多くはありません。

みんなが集まる中で、新たな決意を胸にする(口にする)。初詣の祈願。おみくじ…
それらが自然な風物として行われる。

お正月というのは、社会的言祝ぎの時間的な場なのですね。

(2007/1/6 第53号)


聖夜の過ごし方

日が没すると色とりどりのイルミネーションがまちを彩ります。

11月頃から始まり、このクリスマスの時期に最高潮に達するこの光景も、
今や全国の都市で見られるようになりました。
まるで競い合うように、年ごとに派手さを増しながら、光の洪水が広がっていきます。

大阪市内では、今年は新たに大丸心斎橋店の外壁や道頓堀両岸のイルミネーションが話題になりました。

もはやクリスマスはわが国ではショー化したと言っていいでしょう。

しかし一方で、静かに聖夜を過ごしたいとも思います。

22日は冬至でした。
夏至と同じく蝋燭の灯のもとで夜を過ごす、キャンドルナイトのイベントに出かけました。
ほの暗い灯りの元過ごす時間はとってもスローで、とても贅沢でした。

(2006/12/25 第52号)


菜の花プロジェクト

滋賀県で資源循環型地域モデル「菜の花プロジェクト」の活動に取り組む
NPO「菜の花プロジェクトネットワーク」代表の藤井絢子氏の講義を聴きました。

「菜の花プロジェクト」は、菜の花を栽培し、食用の油として利用した後、
その廃食用油を化石燃料代替のバイオディーゼル燃料として生まれ変わらせる取組です。

元は琵琶湖の汚染を防ぐための廃食油回収によるせっけん製造に始まった活動ですが、
農業振興、観光振興、地域資源活用と、広範囲な分野の拡がりを見せています。

地域起こしのひとつのモデルといえるでしょう。

根底にあるのが地産地消の考え方であり、資源循環型の自立した地域運営にあります。

国や行政への依存型でない、現場主体の地域運営という点でも注目すべきところです。

折りしも、滋賀県では新幹線の新駅建設の見直しを掲げた嘉田由紀子氏が知事に就任し、
環境に軸足を置いた「もったいない県政」を展開中です。

循環型社会の地域モデルが滋賀より発信しそうです。  

○菜の花プロジェクト  

(2006/12/14 第51号)


走り続けて70年

私事で恐縮ですが、10月に結婚しました。

それに伴い、住居も住吉区内のマンションに代わりました。

部屋の窓からは住吉大社の杜が見えます。
その手前、まちの真ん中を阪堺線の路面電車がまるでミニチュアのように走っています。

毎日、この電車に乗って通勤しています。
時にはかなり古い形式の車両に出くわすことがあります。
冷暖房など付いておらず、木製の内部、枠飾り、真鍮の手すり。ちょっとしたレトロ体験です。

一体何十年この路線を走り続けているのか気になるところです。
調べてみると、一番古い車両が昭和3年製造ということでした。

う〜ん、70年以上も現役でがんばっているのですね。

明治末に本格的な開発が始まったというこの古い住宅地に路面電車はよく似合います。

(2006/12/5 第50号)


通天閣とその時代

前号の後記で2代目通天閣の開業50周年の話題を取り上げましたが、
新調された金色ネオンの通天閣が大阪の夜を鮮やかに彩っています。

先月28日の記念日の前後にはNHKの番組や新聞などでも特集が組まれていました。
NHKの番組では、50年前に通天閣再建に関わった方々の様々なエピソードが紹介され、
戦時中に解体されてしまった新世界のシンボルに対するまちの人々の熱い想いが伝わってきました。

そこで今日ではあまり省みられることのない初代通天閣とその時代の大阪について触れてみたいと思います。

現存する初代通天閣の写真を見ると、我々が見慣れている今の姿形とは大きく違い、
凱旋門の上にエッフェル塔が乗っかっているという奇抜なデザインでした。
高さ75メートル、名前の由来は「天に通じる高い建物」、命名者は明治初期の儒学者、藤沢南岳。

今では信じられないことですが、もともと新世界というまちは、
第5回内国勧業博覧会場の跡地利用として、パリとハリウッドをイメージして設計されたのです。

通天閣はそのシンボル的存在で、セットでルナパークという遊園地も設けられました。
竣工は1912(明治45)年。

当時の大阪は明治初期の造幣寮(現大阪造幣局)建設や中期の紡績業の振興によって
産業都市として大きく発展し、重化学工業都市へと変貌するところでした。
飛躍的に人口が伸び、帝塚山など郊外の住宅地が相次いで開発されていきました。

通天閣竣工の翌年には中之島で中央公会堂の建設が着手されています。(竣工は1918(大正7)年)
更に、1925(大正14)年には第二次市域拡張によって人口が東京を上回り210万人に躍り出ます。
大阪城天守閣の再建が1931(昭和6)年。
御堂筋の開通が1926(大正15)年。
地下鉄開通が1933(昭和8)年…

世に言う大大阪の時代です。

その時代を間近に控え、大阪が最も上げ潮ムードの中にあった時代の建造物として
通天閣は新世界というまちとともに世に現れたのです。

現在、大阪の衰退が叫ばれて久しいですが、
もう一度大阪がかつての隆盛を取り戻すよう市民レベルで様々な活動が繰り広げられています。

●通天閣オフィシャルサイト 

●新世界てんこ盛り広場 

●新世界大阪テンコ盛り 

●初代通天閣の写真 

(2006/11/11 第48号)


五重塔はなぜ倒れない?

日本の伝統建築の構法である板倉作りの家の普及活動を進めている丹陽社のオカさんから、
「五重塔はなぜ倒れないか」という興味深い話をお聞きしました。

五重塔の耐震性の強さは以前から指摘されていますが、
その理由については今も尚解明しつくされてはいないそうです。

ただ一ついえることは、地震力に対して部材および構造の耐力で対抗するという考え方に基づく
現代の建築基準(=西洋の技術思想)に対して、
揺れることにより地震の力を吸収して対抗する構造になっているようです。

例えば、法隆寺の五重塔の心柱は地中部分が腐って中吊り状態にあり、
建物を支える機能は持っていないそうです。
それでいて1300年の歳月をものともせず建っているのです。

オカさんは、そこに「力に対して力で対抗するという西欧の技術思想とはまったく別の、
相手の力をしなやかに受け入れて、しかも自己を失うことなくバランスを保つという、
日本人の生き方が見事に反映されている」と仰います。

正倉院などに用いられた板倉構法もそうですが、
耐震性、防湿性、保温、保冷機能など、わが国の古代から伝わる伝統建築の多くには
風土に適応した思想性に裏打ちされた作品といえるでしょう。      

板倉造りの家奮闘日記

丹陽社の家づくり      

(2006/9/13 第43号)


落語の定席復活

大阪の芸能で最も馴染み深いのは何と言っても漫才と落語でしょう。
いささかステレオタイプな物言いではありますが、
「お笑いのまち・大阪」のイメージも漫才・落語(それに吉本新喜劇)のパワーによるところが大きいのは
間違いないでしょう。

9月15日、大阪天満宮裏手に天満天神繁昌亭がオープンします。

大阪では約60年ぶりの復活となる落語専門の定席です。

戦前までは大阪のまちの至る所に寄席や芝居小屋があり、
人々の娯楽の中心となっていました。そしてそれぞれのまちの特色が形作られていきました。

例えば道頓堀はなにわ五座を誇る芝居のまちとしてその地位を築きました。

大阪天満宮の周辺にも八軒もの寄席が並び賑わいを見せていたそうです。

戦後の成長期の元で、それらは全て失われ、その”まちらしさ”も消えていきました。
今、中心市街地の衰退が危惧される中、かつてまちを彩った文化の復権を、
活性化の切り札として活用しようとする動きが拡がっています。

天満宮周辺は落語でまちの活性化を目指します。

最近は各地で地域寄席が開かれていますが若い女性の姿が目立つそうです。
同様の傾向は文楽や能の公演でも伺われ、伝統芸能の復権が静かな始まりを見せているようです。  

○天満天神繁昌亭   

(2006/9/1 第42号)


熊野への道

残暑お見舞い申し上げます。

皆様のお盆休みはいかがお過ごしでしたでしょうか?

私は南紀に向かい、世界遺産に登録されている熊野古道を歩いてきました。

熊野三山と称される本宮・新宮・那知の各大社。
平安時代後期から皇族・貴族を中心として広まった熊野参詣は中世になると庶民の間にも浸透し、
その賑わいぶりを称して「蟻の熊野詣」と呼ばれるほどの隆盛を誇りました。

熊野古道(大阪では熊野街道と呼ぶ)は起点の京都から淀川を船で下り、
今の大阪・天満橋の辺り、八軒家船着場より上陸します。

その後は陸路をとり、一路熊野を目指します。

大阪府内では上町台地を縦貫して住吉・堺・和泉方面へ向かいます。

道中には九十九王子と呼ばれた熊野権現を祭った社が建てられ、参詣途上の儀礼が行われたようです。
大阪市内には6つの王子があったのですが、その全てが上町台地上に位置していました。
現存するものは阿倍王子神社のみとなっています。

ちなみに九十九というのは、たくさんという意味あいで、正確に九十九の社があったわけではありません。

紀伊山地の深い山中を越えて牛馬童子を始めとする路傍に建てられた無数の石像に
熊野を目指した古人の熱い信仰心を想いました。

(2006/8/23 第41号)


まっちゃまち

夏の風物詩といえば花火です。

今年も全国各地で花火大会が開催されています。
大阪では淀川やPLの花火大会が有名ですね。
特にPLのは10万発の花火で、毎年10万人以上の観客が集まるというから驚きです。

一方、花火を販売するお店が集まっているのが松屋町。
大阪の人は「まっちゃまち」と呼びます。
人形のまちや駄菓子のまち、おもちゃのまちでもあるのですが。
つまりこどもにまつわる品々を扱っている問屋街です。

元は大正〜昭和初期の御堂筋の拡幅によって本町付近の人形店が移転してきたのが、
この問屋街の始まりだとか。

このまちも全国的な商店街の衰退や、業種としての問屋の凋落を受けて
かつてのにぎわいが消えつつあります。

再生への動きとして、隣接する空堀地区との連携や若者による空きビルの活用など模索が続いています。

(2006/8/8 第40号)


ご近所の夏祭り

本格的な夏祭りのシーズンです。   

今年は梅雨がなかなか明けず、長雨が続く中での祭礼も多いようです。

先日、城東区・中浜にある白山神社というお宮の夏祭りを見物しました。
小さい境内に10ほどの露店が並んでいました。
訪れるのは親子連れか小中学生の友達同士がほとんどです。
隅の暗がりでタムロする中学生。
帰りが遅いと、こどもを怒鳴りつける父親。
だんじりの担い手も10代の比率が多いようでした。
わが町の祭りといった雰囲気が濃厚です。

大規模イベント化する夏祭りの一方でこうした地域と一体化した昔ながらの夏祭りも健在です。

(2006/7/25 第39号)


レポート〜平野西こども天国

天気予報は見事に外れ、蒸し暑いばかりの晴天。

果たしてこのイベントが子供たちに反響を起こせるのか?

周辺へイベントの主旨はうまく伝わったのか?PRは十分だったのか?

事前に集まったスタッフの顔に不安がよぎる。

空き家となった駄菓子屋「おやつのぽん」でイベントが始まった。

集まった子供たちは10数名。友達同士で、あるいは母親に連れられてやってきた。

ぽんさんこと、神原まゆみさんが挨拶をして、まだ店が営業していた頃TV番組で放映されたビデオを見る。

続いて映画「107+1 天国はつくるもの」の上映。
てんつくマン監督作品。各地で自主上映会が開かれていて、どこの会場でも涙したと評判の作品だ。
内容はドキュメンタリーで、若者の手による3つのプロジェクトを追っかけている。
沖縄を舞台にしたクリーン大作戦、沖縄から鹿児島まで手漕ぎの船で渡る冒険チーム、
そしてアフガニスタンのこどものために手製のマフラーを届けるというもの。

余談ながら、今回のイベントで記録ビデオを撮影していただいた森川法夫氏は
この映画のアフガニスタンチームの撮影、及び作品全体の編集を行っている。

果たしてこの内容が子供たちに通じるのか。
縁日が気になったり内容がつまらないといって、みんな途中で帰ってしまうのではないか。
そんな心配ばかりしていた。

上映が始まった。

最初はおとなしく見ていたこどもたちだが、ある程度時間がたつとざわつきだし、
トイレに立つ者、ケータイで遊びだす者が出てきた。
縁日が気になって時間を聞きに来る女の子もいた。
中にはスクリーンの前に立ち、影をつくって邪魔する悪ガキもいた。

それでも、途中で会場を抜けた者はほとんどいなかった。
先程の悪ガキも決して自らは会場を出ようとしなかった。

我々がこどもだった頃と大差ない。
みんな多少の関心を持って映画を見てくれていたのだ。

ラスト、マフラーを通じてアフガンのこどもと交流が描かれるシーンでは、
全員真剣な眼差しで画面に見入っていた。

上映終了後、会場に備え付けられたアフガンのこどもに向けた募金箱には列ができた。

「いまどきのこどもは」などと心配したり、斜に構えたりする必要はなかった。
信じて任せること、それが大事。

それにしても、”おやぽん”こと「おやつのぽん」の存在が如何に平野西のこどもたちに大きかったことか。
縁日は別の会場なのに、噂を聞きつけた小学生たちが次々と上映の終わった”おやぽん”にやってくる。
口コミによる力の大きさとともに、店の地域での信用度が窺われた。

縁日会場は同地区のNPO安寿が経営するハニーカフェ。
店内には射的、ヨーヨー、型抜きの遊びや駄菓子、たこ焼きなどの屋台が所狭しと並び、
終日こどもの姿でごった返した。
中でも一番人気は射的。順番を待つ長い列が途切れることなく続いた。 

駄菓子を買い求めるこどもも多く、みんな”おやぽん”の復活を待ち望んでいたようだ。
販売するのは勿論ぽんさん自身。

来場したこどもにインタビューする。
「大人が親切だったので嬉しかった」

カメラを向けると、「知らない人には写真を取らせないようにと親に言われている」と顔を隠す。
大人はこどもから不信と警戒感をもって見られている。
そんな今の状況を再認識させる言葉だった。


こどもパワーはすごい。
夕方5時の縁日終了間際までも群がり、その後は彼らの何人かが近くの公園で遊ぶ光景も見られた。
ありったけの力を発散させる時期なのだ。
事前の不安を消し飛ばすほどこどもが訪れ、大盛況だった今回のイベント。

一方で地域からこどもの居場所がなくなっていくという不安も大きい。
”おやぽん”のように、いつもタムロできる場所がこどもには必要だ。

こどもが元気になればまちも元気になる。
小さな火種を起こすこの取り組み。
今後も続けていきたい。  

(2006/7/6 第37号)


キャンドルナイト

昨年、様々な分野で物議をかもしたクールビズも2年目を迎え、
すっかり夏のファッションとして定着しましたね。

中高年男性がおしゃれに目覚め出したという思わぬ効果ももたらしたようです。
果たしておじさんの意識が変わっていくのでしょうか。

本来、クールビズは軽装によって夏の電力消費を抑え、
エネルギー資源の無駄を省くという環境的見地から提唱されたものです。
ファッション化によって広まった運動といえるでしょう。

同様の主旨で、夏至の夜、電気を消してキャンドルの灯の元で過ごす
「100万人のキャンドルナイト」があります。

2003年より始まったこの運動は、スローライフへの関心の高まりとともに、
またイベント化することによってまたたく間に全国に拡がりました。
個人や少人数のグループでも気軽に参加できるのが利点でしょう。

以前、京都の町屋でのイベントに参加してみた感想ですが、
暗闇の中、キャンドルの灯の周りに集まって語り合う場の雰囲気というのは
お互いの距離を近くするもので、
かつての夜の暮らしというのもこんなものだったかと思いを巡らせました。

6月21日が夏至です。

◆100万人のキャンドルナイト 

(2006/6/11 第35号)


こどもの居場所

この3月、大阪市平野区で一軒の駄菓子屋が閉店しました。

「おやつのぽん」

地域の子どもたちに愛され、惜しまれつつ閉店した駄菓子屋ぽんの店先には、
2ヶ月以上たった今も子供たちが訪ねてきてお店再開の日を聞いてくるそうです。

学校の帰り道や放課後に訪れた駄菓子屋にはいつも誰か友達がいました。

これからどこへ行くか、何して遊ぶかなど、そこでいろんなことを決めました。
駄菓子屋はまぎれもなくこどもにとってのコミュニティだったのです。

6月24日、地元のNPO安寿とYUI企画で「平野西こども天国」と題した地域イベントを行います。
これは「おやつのぽん」への感謝会でもあります。

今、こどもを取り巻く環境が悪化し、放課後の校庭や公園からすらもこどもが追いやられていく中、
あらためて地域におけるコミュニティの場として駄菓子屋が果たしていた役割を
イベントを通じて考えてみたいと思います。

(2006/6/3 第34号)


マイナスからの出発

リバティ大阪(大阪人権博物館)で行われた「釜ヶ崎フェスタ2006」に参加しました。

元ホームレスの方々が紙芝居やピアノ演奏などの文化・芸術活動を通じて
逆に福祉活動を行う側に転換したその活動発表の場でした。

マイナスからの再出発に感銘を受けると同時に、文化・芸術が持つ人を救うチカラを改めて認識しました。

「さすらいのザ・ピアノマン」こと合田清さん。

音楽教室の経営者から多額の借金を抱えてホームレスの身分へ。
釜ヶ崎に流れ着き、全く何の希望も見出せなくなり日々を過ごす合田さんでしたが、
音楽へのこだわりだけは心の片隅に残っていました。

ある時、ホームレスの支援団体から借りたキーボードを手にして三角公園で演奏。
普段クラシックなど聞いたことがない日雇い労働者がたちまち合田さんの周りに集まってきました。
合田さんが奏でるバッハの名曲に、すさんだ心が洗われるようだとみんな涙を流したそうです。
合田さんの演奏中は周りの青空カラオケも止むそうです。

あの時が人生の転機だったと語る合田さん。

今では、野宿生活を送っていた時代のことを高い学費で留学させてもらったものだと胸を張って仰います。
近々CDもリリースされるそうです。

どんなことがきっかけでマイナスがプラスに変わるものかわかりません。
が、人生をあきらめない姿勢のなかでそのような転機が巡ってきたのは間違いないことでしょう。

合田さんに勇気をいただきました。

(2006/5/26 第33号)


三丁目の夕日in平野

かつて地域のこどもたちのたまり場として駄菓子屋が存在していました。

大ヒットした映画「Always 三丁目の夕日」を観るまでもなく
駄菓子屋は地域のこどもたちのコミュニティとして機能していました。

その役割は時代が変わっても生き続けているのを
大人たちにとっては懐かしさでいっぱいの駄菓子屋ですが、
しかし、少子化の進展と遊び方の変化とともに現実の駄菓子屋の経営は厳しく、
他の多くの個人商店と同様に年々その数を減らし続けています。

この3月、大阪市平野区で、地域のこどもたちに愛された駄菓子屋がひっそりと店を閉じました。
経営上の理由からでしたが、その閉店を惜しむ声は今尚続いています。

そこで地元のNPO安寿では、
この店〜「おやつのぽん」〜の残していった志を引き継いでいきたいと、
ぽんさんの感謝会及び安寿・ハニーカフェのお披露目会を計画中です。
再びぽんさんがどもたちの前に立ち、これまでのお礼と安寿に託す願いをこどもたちに伝えます。  

映画や縁日、紙芝居など、盛りだくさんな内容を考えています。

(2006/5/16 第32号)


とんぼりリバークルーズ

みなさまはG.W.はどのように過ごされましたか?

私は連休中、道頓堀で船上ガイドをしてきました。

「とんぼりリバークルーズ」と名づけられた20分間のツアーは、
「えびすタワー」と呼ばれる楕円形の観覧車の前から乗船し、
日本橋〜湊町リバープレイスを8つの橋の下を潜ってミナミのまちを川面から眺めます。

遊歩道と水質浄化で生まれ変わった道頓堀を体験してもらおうと、
地元戎橋筋商店街が中心となって企画したものです。

20分のツアー中、橋の説明やまちの由来、大阪にまつわる逸話などをお話し、
最後は乗船客とともに大阪締めで締めくくります。
戎橋筋商店街からも「ミスえびすばし」の女性が乗り込み、盛んに商店街をPRしていました。

G.W.期間中は1日20回のツアーが組まれましたが、40人乗りの船はほぼ満席。
次回就航分の待ちまで出来る盛況でした。

いつもにも増して多くの人でごった返すミナミでしたが、
他県の方が殆どだろうなと思いきや、地元・大阪の人も多かったです。
普段見慣れている風景でも、違った角度から眺めるとまるで異なった印象を受けるようで、評判もよかったです。

まちの魅力は至るところに潜んでいるといえましょう。

(2006/5/8 第31号)


都市景観

環境への意識の高まりが都市景観の保全へと向かっています。

東京・銀座では、松坂屋が店舗ビルの高層化を計画したところ行政からストップがかかりました。
高層ビルは銀座の町並みにそぐわないということです。

思い出すのは20年ほど前の古都・京都での景観騒動です。

現在、京都市は、伝統的な町並みの保存・再生を目的として、
建築物に高さ制限でかつてないほどの厳しい基準を設けています。

大阪でも高度成長の時代、かつて水の都と呼ばれ、八百八橋と呼ばれた 
多くの堀と橋が次々に埋められ、撤去されました。
「船場」「島之内」といった地名はまちの特徴を示すものではなくなりました。
残った道頓堀は水質汚濁が進み、惨憺たる姿を衆目に晒しました。

時代の流れが変わり、環境への意識の高まりが道頓堀を浄化して
遊歩道を整備しようという動きに繋がりました。

水都再生への流れがようやく始まりました。

(2006/4/26 第30号)


都市緑化の行く末

大阪は緑が少ない都市といわれます。

よく対比される東京を見ますと、皇居外苑を始め、代々木公園、新宿御苑、明治神宮と、
思いつくだけでもこれだけの大規模緑地帯が都心の真ん中に拡がっています。

一方の大阪は、大阪城公園が中心部にある以外は長居公園、鶴見緑地ともに周縁部です。

一定の地域において、樹林、芝、草花などで覆われた土地の面積の占める割合を緑被率といいますが、
大阪市の市街地の緑被率は6%で、全国でも際立って低いレベルとなっています。

千代田区や新宿区などの東京の都心部でも平均で16%ありますので、
如何に大阪市内に緑が少ないか、数値の上でも明らかです。

以前にも触れましたが、
上町台地にはかつて緑のグリーンベルトと呼ばれる豊かな緑地帯が広がっていました。
それがこの30年ほどであらかた消滅しています。

現在、大阪城公園をメイン会場に、「都市緑化フェア」が市内各所で行われています。
花緑文化の力で大阪のまちの再生を図るとイベントの基本理念にありました。

このイベントを契機に市街地の緑化推進の気運が盛り上がることを願います。

都市緑化フェアの一環として平野で行われた「花と緑のツアー」に参加しました。

このツアーで特筆すべきは、杭全神社の鎮守の森の一般公開でした。

普段は全く立ち入ることの出来ない空間だけあって、
周囲をJR線や高層マンションに囲まれるにもかかわらず、この一画だけ自然が保たれていました。
ユーカリ、ムク、クスノキ…椿の群生も見事でした。

中世の自治都市・平野を取り巻いた環濠の盛土も保存状態がよく、
人の足跡が入っていないことによって残されたタイムカプセルといえましょう。

(2006/4/15 第29号)


住吉さん

「能楽師と行くなにわめぐり」で、住吉界隈を歩きました。

この地域を代表する文化財は何と言っても住吉大社でしょう。
というより、この神社を中心に住吉の街が発展してきました。

古来より住吉津と呼ばれ、わが国最古の港が築かれた場所。
その海の安全を祈念するために祭られた住吉の神。

また、この場所は上町台地の南端に当たり、陸上交通の要所でもありました。

故に多くの物語がここを舞台に作られました。

「源氏物語」澪標の巻では、光源氏の住吉詣が描かれています。
源氏はここで明石の君と再会するのですが、このエピソードをモチーフに「住吉詣」という謡曲が作られ、
能舞台で演じられています。

住吉に因んだ能の題材は他にもたくさんあり、
この日のまち歩きでは、能楽師の山中雅志さんが和服姿で各所を案内し、
場面場面でその一節を謡うという趣向がとられました。

住吉大社の第一社殿の前では「白楽天」という祝いの謡が謡われました。
折りしも、神殿では結婚式の真っ最中でした。

(2006/4/4 第28号)


上町台地のグリーンベルト

国立文楽劇場で開催された「上方の芸とくらし」で、
『上方芸能』という雑誌を発行されている木津川計氏の講演を聞きました。

空襲と高度経済成長の二度にわたる大波によって、”水の都”の伝統が姿を消し、
大きく変貌した大阪の町に、僅かに息づく伝統芸能の世界を解説される中で、
氏が懐かしむ風景として上町台地のグリーンベルトを挙げられていました。

再建したばかりの通天閣より見下ろした大阪城〜住吉大社に至る上町台地には
一筋のゆたかなグリーンベルトが拡がっていたそうです。

織田作之助が”木の都”と呼んだ原風景がこの地に当るということです。

今や、このグリーンベルトは細切れに分断されて、拝む術もありませんが、
その中でも下寺町〜夕陽丘〜一心寺に続く界隈は
緑と落ち着きが静寂が比較的よく残っている地域ではないでしょうか。

天王寺の七坂、「愛染鬘」で有名な愛染堂、本家・京都を模した清水寺、
真田幸村ゆかりの安居神社と、見所が多く、上町台地でもお勧めのポイントです。

(2006/3/28 第27号)


大阪の出版文化

谷町界隈を歩くと印刷会社が多いことに気づきます。
殆どが小さな印刷所ですが、
これにはかつて大阪に数多く存在していた出版社と結びついていた歴史があるのです。

出版社が東京に一極集中している現在では信じられないことですが
かつて大阪には独自の出版文化が栄えていました。

西鶴や近松が活躍した江戸期以来の流れがあると思われますが、
明治の中頃より講談ブームが起こりました。 それはやがて「講談本」という形で出版され、
多くの出版社が隆盛を極めました。

明治末から大正にかけて一世を風靡したのが「猿飛佐助」や「霧隱才蔵」などで有名な立川文庫です。
現在では大半が散逸しましたが、立川文庫の講談本は少年たちの心を虜にしました。
出版元の「立川文明堂」は現在の大阪市中央区南本町や博労町などに所在がありました。

谷町界隈にも出版社が存在していました。

大正〜昭和初期の大大阪を象徴する出版社にプラトン社があります。

中山太陽堂という化粧品会社が自社の広告宣伝として設立した会社で
「女性」「苦楽」といった雑誌を刊行していました。

顧問に劇作家の小山内薫、表紙やカットを手がけたのは、
後に資生堂イメージを確立したグラフィックデザイナーの山名文夫といった面々で、
地元安堂寺町出身の作家、直木三十五も入社し、作品を発表していました。

プラトン社の事務所は安堂寺町辺りにあったようです。
今も営業を続けるいろは湯という銭湯には、直木を始め、
プラトン社に関わりのある人が足繁く通っていたそうです。

わずか6年ほどの活躍でしたが、日本のモダンデザイン史にとってのエポックとなったプラトン社の存在は
大阪の出版文化の輝かしい時代の記憶として留められるものでしょう。

   『モダニズム出版社の光芒―プラトン社の1920年代』(小野高裕、他著 淡交社 \3,675)

(2006/3/14 第26号)


大阪城流転ストーリー

梅の便りに誘われて大阪城公園の梅林に行きました。

既に夕暮れ時でしたが、梅の香が辺り一面に漂っていて、何ともいえないいい気分でした。
見上げると、ライトアップされた天守閣が聳え立っていました。
身近にありすぎて、普段通り過ぎることの多い大阪城ですが
じっくり歩いてみますと、改めて魅力が満載なのに気付かされます。

来日する外国人に、ぜひ訪れたい大阪の観光地のアンケートをとってみると、
ダントツにこの名前があがります。 特に中国・韓国の人にとって大阪城とは
豊臣秀吉の城ということで忘れられない名前のようです。

それほど高名な大阪城ですが、では大阪に住む人が、
この城についてどの程度の知識を持っているのでしょうか。

少し前になりますが、この大阪城公園でガイドをされている大阪観光ボランティアガイド協会の石井聖美さんに 案内されて夜の大阪城を歩きました。
おかげで、自分が如何にこの城のことを知らないのか判りました。

現存の天守閣は、ご承知の通り昭和初期に大阪市民の寄付によって再建されました。
案外知られていないのが、それ以外の石垣や櫓、門などで、
これは豊臣時代のものを徳川が流用したものだと考えている方が多いようですが、
秀吉の大坂城は豊臣氏滅亡後に破壊され、石垣などの遺構は土中に埋もれています。
現存するものはメイド・イン・トクガワなのです。

また、現在の天守閣は秀吉時代のものを再現したといわれますが、
秀吉の天守はライトアップが映える白壁ではなく、黒色だったといわれます。
これは、夜間に外敵から見えにくくするためだそうです。
したがって現在、我々は豊臣秀吉の大坂城を見ることはないのです。

近代になると、この付近一帯は軍用地として陸軍の管理下に置かれ、
城内に民間人が立ち入ることは禁じられていました。
先に述べた天守閣の再建は特例中の特例の出来事だったのです。
私たちが桜の名所として花見に興じる西ノ丸庭園には兵舎が立ち並んでいたのは、
当時の航空写真で窺い知ることができます。

こうしてみると、当たり前と思っている風景も、今、目にするものとは違う様々な歴史の変遷があるのですね。
他所の土地の人にまちを案内する際も、多少なりともいわれや歴史の薀蓄があると、
会話も膨らみますし、相手の記憶にも残りやすいものです。

○大阪観光ボランティアガイド協会

(2006/3/7 第25号)


伝統建築の見直し

耐震偽装事件が世間を賑わし住環境に対する関心が高まっていますね。
次々に発覚する偽装で、こうなるともう専門家は信じられない、当てにならないといった具合で、
先日お会いした建築士の方も、「最近はよく突っ込まれますわ」と苦笑いをされていました。

そのような状況下で、伝統建築への再評価の気運が高まっています。
高度成長期以降、日本家屋は地震に弱い、すぐ倒れるという
マイナス評価が既成事実のように喧伝されてきましたが、実際はその逆で、
地震国で高湿度のこの国の風土の特性に合わせ、壁を通る補強材が強度を作り、
漆喰塗りが調湿性を保ちます。よく揺れるのは揺れを吸収する構造になっているからです。

伝統建築と言えば、前回ご紹介した八尾のいずみ苑は京の宮大工の手による栂普請でしたし、
空堀地区に点在する町屋の特徴は切り妻平入りです。
上町台地の高低差を活用した地下室の存在は珍しいものだそうです。
こうした建築物は歴史の風雪に耐えて、現在まで残っています。

これら伝統工法を活かした生活を潤す住まいづくりに携わっている建築関係者もいます。

板倉造りという伝統工法によるスローハウスの普及活動を行っているのは、建築事務所の丹陽社です。
伊勢神宮や正倉院にも使用されている古来より伝わる工法で、耐震性に優れているということです。
天然スギ素材が精神の安定に有効だそうです。

平野区で地域の人が集まるコミュニティ活動を行うNPO安寿は
バリアフリーによる住宅造りを事業の一つとして掲げ、
その実践としてハニーカフェという店舗を設計・運営しています。

更に町並みへの関心も高まっています。
まちづくりの気運を盛り上げる契機となったのが市街地の衰退や郊外の乱開発です。
まさしくこれは、この国の行政のビジョンなき都市政策を物語っています。
その中で、東京の日本橋の頭上から高速道路を撤去しようという取り組みが始まったことに
かすかな希望を見出します。
大阪市内でも、景観保全を守り創造するHOPEゾーン事業がスタートしました。

先の伝統建築やスローハウスの動きが町並み保存、スローライフの実現に向かって進展することを望みます。

○いずみ苑  
○HOPEゾーン事業(空堀・平野・住吉の町並み)    
○安寿   
○丹陽社 

(2006/2/24 第24号)


いずみ苑

八尾市にあるいずみ苑という和風建築の文化スペースを訪問しました。

築80年の純和式の建築物で、「栂普請」という非常に珍しい構造だそうです。京都の宮大工の手によるものらしい。
現在は文化活動の拠点として、お茶会や句会、音楽ライブや各種セミナーなどに利用されています。
オーナーは泉佳保子さんという女性。
八尾・そして大阪の文化的復興に取り組んでおられます。

近鉄大阪線高安駅より徒歩2分という駅前立地にありながら、
風格を感じさせる門を潜って内部に入ると、落ち着きと静寂さが漂う和の世界が漂っていました。

玄関を上がって奥座敷へ。三間あり、襖を外すと20畳ばかりの大広間になります。
よくみると、天井に空調設備が、梁に照明と、イベントスペースとしての機能も備わっていました。
母屋の裏手に庭園があり、椿が咲きかけていました。

茶室が一軒建っています。
訪問一行は茶室に通され、泉さんらと文化談義。自然と地域おこしへ話が及びました。

この八尾の地から天王寺にかけては、古代物部氏の領地だったといいます。
物部氏は”もののふ”=武士の語源となった一族で、
弓や矢、鎧など、ものづくりに秀でた、まさにものづくりの祖先とも言うべき存在でした。
市内に残る弓削や矢作といった地名がそれを物語ります。

現在も尚、隣の東大阪と並んで中小企業の多いものづくりの拠点としての機能は、
こうした歴史に支えられているところが大きいそうです。
泉さんの話を聞いて、八尾のまちおこしのキーワードとして「もののふ=ものづくりの里」 という言葉が思い浮かびました。

他にも高安山の自然や大阪に唯一現役として活躍する刀鍛治のことなど、
八尾の潜在力を再確認する訪問でした。

高校を卒業するまで八尾に住んでいた私にとっては、目からウロコの連続でした。  

◇いずみ苑  

(2006/2/17 第23号)


こどもたちと一緒にまち探検

先日、住之江区の子どもとその親を対象にしたまち探検に、スタッフとして参加してきました。
子どもたちに、自分たちのまちの魅力を知ってもらい、まちに愛着を持ってもらおうという目的のまち探検でしたが、大人の目から見ても十分楽しく新鮮なものでした。

住之江というと、競艇場と南港の殺風景な風景しか思い浮かばなかったのですが、
今回の舞台となった安立(あんりゅう)地区は、紀州街道沿いに発展してきた街で、
古い長屋が点在する歴史を感じさせるまちです。

現在の紀州街道沿いには安立商店街があります。今や珍しい賑わいのある商店街でした。

まちを歩いていろんな発見がありました。

今や職業としても珍しくなった大正5年創業の紺屋。
惜しくも阪神大震災の際に工場の屋根が空いてそのまま廃業となったのですが、
古い家屋には「うどん」「麻雀」といった暖簾が架かっていました。

世界中の音楽家から注文がくるという高度な製作技術を持つリコーダーの工房。

大正〜昭和のモダニズム文化を感じさせる、洋館風の丸窓の付いた長屋練。

この小さな一画に、こうも多彩な表情が潜んでいるとは思いも寄りませんでした。

参加した子どもたちも同様の思いだったようで、みな一様に目を輝かせていました。
また、彼らの隠れ家やとっておきの場所を教えてもらったのも
今の子どもの世界を垣間見る、貴重な体験でした。
自分も同じ遊びをしたなと、懐かしく思いつつ路地をすり抜けました。

ただ、広場が使用禁止になって野球ができなくなったという声には、
昨今の子どもを取り巻く厳しい状況の元で、
安全のためとはいえ、彼らが自由に駆け回る空間がますます狭まっていく現実に寂しい気がしました。

ひょっとしたら、今回のような試みの中でしか彼らが地域と接する機会はなくなっていくのではないか。
そんな一抹の不安も感じました。

(2006/1/31 第22号)


つながり作り

まちづくり活動を行っていると、同様の活動をしている様々な人と出会います。

地域のお年寄りが気軽に集まる「ふれあい喫茶」の運営。
和室の母屋を使ったスペースレンタル。そこでイベント活動する人々。
まちの幼児教室の開設。
橋上を利用したオープンカフェの運営による旧市街の活性化。
校庭や公園の芝生化、等々。

どなたの話も興味深く、自分の住んでるまちが好きなんだなぁと感心する魅力ある人ばかりです。

YUI(結い)企画はイベントや交流を通じて、地域を元気にするネットワーク作りを進めようという趣旨で活動しているのですが、こうした人々とのコラボレーションも図りつつ、市民パワーのようなものが生まれたらなあなんて考えたりもしています。

できるだけ、これらの活動を紹介していきたいと思っています。

現在、運営のサポーターを努める方々も、イベントや異業種交流会で知り合った方ばかりです。
私自身も大きな刺激を受けています。
縁って凄いものだと改めて感じます。

みなさんも、会社やご近所、親類だけでない付き合いを広げてみませんか?

(2006/1/22 第21号)


上町台地初詣はしご

新年あけましておめでとうございます
本年も宜しくお願いいたします。

みなさま、初詣は行かれましたか?
私は元旦に上町台地の寺社8箇所のお参りをしました。
初詣のはしごだなんてフザけている!と叱られそうですが、
多分一年で最ものんびりするこの日に、改めて上町台地を巡り、
その魅力が他の同行者にどのように受け止められたのか確かめてみようと考えたのです。

谷町九丁目から天王寺まで、下寺町と呼ばれる地域を中心に歩きました。
改めて大阪は寺社が多い町であることを感じました。
また、この界隈は上町台地の中でも高低差が最も大きく、
”天王寺七坂”と呼ばれる坂が存在する起伏に富んだ地形であると同時に、
その豊富な地下水脈から”天王寺七名水”が珍重されるなど、
まさに上町台地のハイライトコースでもあるのです。

残念ながら七名水の方は、地下鉄工事などの影響で地下水脈が断絶し、
今に残っているのはわずかですが、
それでも周辺の喧騒を他所にひっそりとした石畳の七坂や風情ある町並みに、
今に息づく歴史を感じさせます。

高津宮、生國魂神社、髪慢院(愛染堂)、新清水寺、四天王寺…
由来は古く、かつては全国より参拝者が訪れたといわれるこれらの社寺の魅力を
今一度全国に向けて発信できればと思います。

(2006/1/8 第20号)


イブのミナミ

カップルや家族連れでにぎわうクリスマスイブの12月24日、大阪・ミナミのまち歩きツアーに参加しました。
これはOPGマネジメント協会(大阪プロフェッショナルガイド協会)という、
大阪の魅力を伝え、大阪の「観光開発」に貢献することを目的に活動している観光ガイドのネットワーク組織が主催したものです。

ツアーは道頓堀クルーズから始まり、法善寺横丁や道具屋筋、日本橋界隈から島之内まで巡りました。
大阪の代表的名所として恥ずかしくない顔を、ということで美化が進む道頓堀、
廃校となった小学校の跡地利用として演劇文化を発信する精華小劇場。
火災による復興後もなにわの古き伝統が色濃い法善寺横丁や
それと対極にある変貌する日本橋や島之内界隈、とバラエティ色豊かなツアーでした。

中でも個人的に印象に残ったのが日本橋のオタク街と島之内の中国・韓国人らのニューカマー文化です。
これらは大阪のみならず現代日本社会が直面している新たな現実で
変化の度合いの速さ、異質さを肌で感じるいい機会となりました。
今後の地域づくりにもこれら社会の変貌とどう向き合うかが大きな課題となるようです。

(2005/12/29 第19号)


『アメリカ大都市の死と生』

魅力あるまちの要素って何があるでしょう?

ある人は商業の振興だといい、ある人は安全だという。
街路の整備や公的施設の充実を挙げる方もいるでしょう。
歴史・文化が感じられる、広い公園が欲しい、交通網が発達している、いや、静かな環境であれば他に何もいらない…
個人によってその答えは千差万別でしょう。
それだけ、まちというものは多彩な複合要素で形作られているものです。
そして、そこには人の姿が欠かせません。

先月受けた産業観光の講座の中で魅力ある都市設計の4大原則に触れられていました。

  ・都市の街路は必ず狭くて折れ曲がっていて一つ一つのブロックが短くなければならない
  ・都市の各地区には古い建物が出来るだけ多く残っているのが望ましい
  ・都市の各地区には必ず二つ以上の働きをするようになっていなければならない
  ・都市の各地区の人口密度が充分高くなるように計画した方が望ましい

これはアメリカの都市学者のジェーン・ジェイコブスが1961年に発表した学説です。
わが国でいえば高度成長真っ只中にある時期に発表されたというのが驚きです。
当然のことながら脱近代を唱えたこの学説は、当時よりも21世紀を迎えた現代にこそこれからのあるべき社会の指針として改めて注目を集めています。

私はこの学説をきいて、人が主語であるまちのあり方だと思いました。
そして、これに当てはまる大阪の代表的な地区として法善寺横町を思い浮かべました。
都心のマンションに移り住む都市回帰の流れの中で、大阪市内では今、上町台地が人気のエリアとなっています。
これも人が主語となるまちへの渇望でしょうか。

(2005/12/21 第18号)


なにわの伝統野菜

11月23日に大阪・梅田の生涯学習センターで「総合フェスタ2005」が開催されました。
主にこのセンターを拠点に活動する様々な生涯学習グループによる発表の場です。

YUI(結い)企画も便乗させてもらい、これまでの活動発表を行いました。コーチングや色彩講座、
それに演奏といい機会を与えていただきました。
おかげで大勢の来館者に活動内容をアピールすることができたかと思います。

他にどんな団体が活動を行っているか会場を回ってみました。

カフェコーナーで野菜の即売など行われていましたが、
目に付いたのが、高校生の一団が販売している玉造黒門越瓜クッキー。

読めますか?
私は読めませんでした。

実は「たまつくりくろもんしろうり」と読むのです。

大坂城の玉造門が黒塗りの門であったことから別名・黒門と呼ばれ、
この付近の畑で作られていたのでこの名前がつけられた越(白)瓜です。
奈良漬にすると美味しかったことから、江戸時代のおかげ参りの旅人に評判となり、
浪花名産として諸国に紹介されたそうです。

明治以降、付近の近代化に伴い玉造黒門越瓜は姿を消しましたが、
近年、その復活・保存・普及を目指して
玉造黒門越瓜出隊(たまつくりくろもんしろうりだしたい)が結成されました。

地元の学校や企業、有志、それに玉造稲荷神社が中心となって活動を続けています。
フェスタ会場で、この瓜を原料としたクッキーを販売していた高校生たちも
地元の清水谷高校の生徒です。実は私の母校でもあるのです。

次回の谷町飲み会の会場となる「カフェ カ バー」でもこのクッキーの販売を行うそうです。

一所懸命普及活動に取り組む後輩の姿に自分は何にも関与していないにも関わらず、
少し誇らしげな気分になりました。

(2005/11/29 第16号)


大道芸ワールドカップ

YUI(結い)企画は文化イベントを通じてまちのにぎわいづくりを目指した活動を続けているわけですが、
まさに同一のコンセプトで成功を収めている方の講演を聞きました。

静岡で大道芸ワールドカップを手がけておられる甲賀雅章氏がその人です。
「大道芸ワールドカップIN静岡」は世界中の大道芸人(パフォーマー)が集結して 演技を競うコンペティションで、
今年は静岡市中心部の20ヶ所以上の会場・路上を舞台に、11月3日から4日間行われました。

文化をキーワードに、”文化エネルギーによるまちづくり”を目指して開始されたのが1992年のことで、
以来13年、今では100万人規模の集客を誇る一大イベントにまで成長しました。
甲賀氏によるとノラない、踊らないと揶揄された静岡市民がボランティアスタッフとして
事実上大会を支え、幼児がパフォーマーに渡す投げ銭に並ぶ光景に、
市民意識の変化とイベントが感受性を育む文化教育として
地域に定着しつつある事が見て取れるそうで、 地域が場の力を持ち始めた証だそうです。

また、イベントの成功要因としてHOW TOよりもVISION(最初にビジョンありき)を大切にしたこと、
戦略面では如何に短期間でメジャーになるかを考えたことなどを挙げておられました。

CIとは通常cooporate identityの略ですが、
甲賀氏はこれをcommunity identhityと読み替えて、
地域のアイデンティティ を構築することが抱える様々な問題を解決することに繋がると 主張されていました。
いいかえればまちづくりの本質はRe-Design(再描)の繰り返しだということです。

イベントによるまちづくりへの大きな示唆と元気付けになる講演でした。  

○大道芸ワールドカップIN静岡  

(2005/11/16 第15号)


大大阪の時代

今年は「大大阪」誕生から80年です。

東京・渋谷で10月4日まで行われた「大・大阪博覧会」では、
通天閣から持ち込まれたビリケンや、蓬莱や今井といった
東京では普段口にすることができない飲食店ブースに長い行列ができたそうです。

たこ焼き・吉本・タイガースに頼らない大阪の魅力が全国的に認知されてきたのでしょうか?

そもそも大大阪とは、1925年(大正14)、大阪市が第二次市域拡張として、
隣接する東成郡、西成郡の44ヶ町村を合併し、
面積・人口ともに東京市を抜いて全国第一の都市となった時、官民問わず使われた呼び名です。

この名称、東京への対抗心も込められているように思うのですがどうでしょうか。

これより、7年後の1932年(昭和7)に再び東京が人口で一位になるまでの期間を指して
「大大阪の時代」と呼ぶこともあります。

阪急百貨店開業(1929)、大阪城天守閣竣工、中央卸売市場開設(1931)、
地下鉄の開業(1933)、大阪タイガース創設(1935)、御堂筋の拡張(1937)と、
現代に通ずる大阪のシンボリックなものがこの時期に生まれました。
また、帝塚山に代表される郊外住宅地の開発や電気・ガス・水道・港湾部といった
都市インフラの整備が行われた時期とも一致します。
道頓堀や千日前に代表されるミナミの隆盛も挙げられます。

いわば大阪が最も元気だった時代といえるでしょう。

時の市長は関一。いうまでもなく、関淳一前市長の祖父です。

この「大大阪」を、映像と音と講演で辿るイベントが大阪歴史博物館で行われました。

地下鉄淀屋橋駅の建設風景 300年ぶりに復活した天神祭の鉾流神事
すでにこの頃からあった都市ガイドの肉声(当時から道頓堀川が汚かったのはご愛嬌)
千日前通りの開通によって分断された千日前の南側への誘導を図るために建設された
楽天地という娯楽施設の奇天烈な外観、
関東大震災により東京から多数の音楽家が大阪に逃れてきたことによって
道頓堀が服部良一を輩出する一大ジャズ街となった(道頓堀行進曲もこの延長線上にある)ことなど、
興味深いエピソードが満載でした。

イラストレーターの成瀬國春氏による生家付近の日本橋〜難波にかけての変遷も貴重なお話でした。
イベントに参加して当時の大阪の元気を曲がりなりにも感じることができました。

こうした活力を再び取り戻すことができるのでしょうか。

まもなく市長選です。

(2005/11/09 第14号)


暮らしの問題

先日、高津地区のまちづくり会議に出席してきました。
東は高津宮から西は黒門市場に至る地域で、国立文楽劇場もここにあります。
現在、全国各地で住民の手によるまちづくり協議会が発足し地道な活動が行われていますが、
高津の場合も大阪で30番目に正式に協議会として指定されました。

NHKの「ご近所の底力」を見るまでもなく、都市部を中心として、地域は様々な問題に直面しています。

ごみ、騒音、治安等…かつては近所づきあいの中で解決してきた諸問題ですが、
住民の横の繋がりが薄れつつある中、少子化や都市部の空洞化、
或いは国際化による外国人との共生など、従来は想定していなかった環境の急激な変化に、
戸惑いが拡がり行政も対応しきれなくなりました。
それが結果的には、行政に頼ることなく
地域の問題は地域住民が自ら解決しなければという意識付けを促すことになったのです。

かつての町内会とは違う組織形態での地域おこしは、
経済成長期の発想とは異なる方向である種の社会インフラを形作っていくものだと考えています。

この日の会議には約60人が集まりました。
古くからの顔役や商店街の店主に限らず、
ほぼ地区の全域から様々な層が自発的に参加してきたことは
それだけ住民の地域に対する関心の高まりと見えました。

あがってきた問題は放置自転車、治安、ごみ、風俗産業の氾濫と、
環境に起因するものが圧倒的でした。
黒門市場があるので、商店街の活性化がもう少しあるのではないかと予測していただけに、
そこだけ意外でした。

今回は顔合わせと問題の列挙まででしたが、今後どの様な解決策をみんなで協議し、
地域の運動として盛り上げていくのか興味津々です。

(2005/10/25 第13号)


ペルーのお祭り

大阪市が整備を進めている事業に「歴史の散歩道」があります。
市内に点在する歴史遺産や旧跡を結ぶ遊歩道で、伝い石とレンガ造りの案内板が目印です。
現在、上町台地や平野郷など5コースが整備されています。

ユニークな事業だと思うのですが、行政のPR不足もあって、
なかなか一般に周知されていないのは残念です。

代表的なコースはやはり上町台地北コースで、
大阪城から天王寺まで大阪市内とは思えない静寂さと起伏に富んだ散歩道が続きます。
大阪城に程近い府立青少年会館横からコースは始まるのですが、
歩き始めてほどなく越中井があります。

ここには戦国期の武将、細川忠興の屋敷があったそうで、
その夫人で、熱心なカトリック信者であったガラシャが、
関ヶ原合戦の直前、石田方の人質になるのを拒んで屋敷に火を放ち、
その生涯を閉じた場所でもあります。

近くのカトリック玉造教会には、
同時期のキリシタン大名として有名な高山右近像とともにガラシャ夫人像が建っています。

10月23日、その玉造教会で「セニョール・デ・ロス・ミラグロス」というペルーの信仰行事があります。

いうまでもなく、教会は信者にとって礼拝に通う場所でありますが、 近年は国際化の流れとともに、
在住外国人にとっての拠り所となる相談・支援機関としての役割が大きくなってきました。
滞在期間が長期にわたる人にとっては
母国のアイデンティティを確認する場としての役割も果たしています。

「セニョール・デ・ロス・ミラグロス」は毎年10月の第3日曜日に行われる
「奇跡の主」を讃える行事で、神輿が町を練り歩きます。
ペルー本国では全土的に行われる一大イベントですが、
在住ペルー人の多い地でも本国と同様に行われ、
年に数度しか会わない自国民同士にとっての貴重な交流の場となっています。

現在、関西に暮らす外国人の登録者数は459,000人で、全国の約26%を占めています。
そのうち大阪は209.000人で、南米系は6,800人を数えます。
在日韓国・朝鮮人を含むアジア系の195,000人に次いで多いのです。

少子高齢化とともに多文化共生も時代のテーマであり
これからのまちづくりには国際化の受け皿となる要素も考えていく必要があると思います。

 ※カトリック玉造教会「セニョール・デ・ロス・ミラグロス」    

(2005/10/03 第11号)


秋日和ポタリング

ようやく暑さも過ぎ去り、秋の気配が漂ってきました
風もどことなく涼しげです

最近、大阪市内を自転車で走ることが多くなりました

上町台地の傾斜は結構キツイものがありますが
クルマでは実感できない起伏を感じたり気になる店や場所を見つけたり乗っていて楽しいのです

また、徒歩では範囲が広すぎて掴みにくい町と町との位置関係が
等身大に近い感覚で体験できるのも興味深いことです

たとえば、大阪城を起点に天王寺公園までの距離を走らせてみると
秀吉の作った大坂の町の範囲や夏の陣での両軍の位置関係
或いは古代の難波宮から四天王寺・住吉大社を経て飛鳥へ続く道
中世の熊野街道など 歴史ロマンと現代に残る痕跡に意外な発見があります

秋の日の街中ポタリング、試してみられてはいかがでしょうか?

(2005/09/20 第10号)


過ぎていく風景と続ける理由

なぜまちづくりなのかと、質問を受けることがあります。

地域の場の文化の復権だとか、まちの魅力を再発見することで地域に活力を起こす、など、
様々な理由を挙げて答えており、それはその通りなのですが、
もっと直接的な動機としては、やはり個人的な背景があるのです。

自分のプロフィールについて語るとき、必ずといってよいほど驚かれるのは、
これまで20回転居し、13都道府県を渡り歩いたという経歴です。
いずれも転勤に伴うもので、年間で平均2回引越ししていた時期もありました。

大変でしたが実際に生活することで、
旅行だけでは見えてこないそのまちの普段の顔と接したのは貴重な体験でした。
当たり前のことですが、どのまちにもいろんな人が生活していて確かな暮らしがありました。

反面、半年程度の生活の中では、
それらの町は自分の前をただ通り過ぎるだけの風景としかなりえず、
そんな状況に感傷とある種のもったいなさを感じものでした。

大阪も私にとっては出身地でありながら、長い間、通り過ぎてきた風景でした。

久しぶりに戻り、かつて見知った風景の変貌に、
全国を点々とする中で抱いた、もったいないという感覚がまちづくりを志向させたのかもしれません。

(2005/09/11 第9号)


山中能舞台

「Why don't you "能"?」の会場となった山中能舞台。
地下鉄御堂筋線西田辺駅より徒歩5分の至近距離にありながら、
住宅地のど真ん中にあり、意外な場所で意外なものを見つけたというのが
多くの参加者から頂いた感想でした。

なぜこの界隈なのかと、能舞台の山中雅志氏に尋ねたところ、
昔、この近辺の聖天坂に能舞台があって、多くの能楽師が住んでいたとのこと。
調べてみると、大正7年に観世流の十一世生一左兵衛綾雪によって能楽殿が建立されています。
(後、空襲で焼失)頃は第一次大戦後の好景気に伴う能楽の再盛期でした。

ちょっとしたことでも、いわれを探ってみると意外な歴史に当たることがあります。
まちはいわれの宝庫だと言えます。

(2005/09/11 第9号)


まちの資源

町屋のある町として空堀地区が脚光を浴びるようになったきっかけとして
からほり倶楽部の活動が挙げられます。

町を訪れた人が必ずといってよいほど立ち寄るのが、
からほり倶楽部が運営する「萌」「練」「惣」の3複合ショップでしょう。

町屋再生としての「惣」、お屋敷を有効利用した「練」、そして直木三十五記念館を核とした「萌」と、
コンセプトはそれぞれ違いますが、
地元資源と若者のチャレンジショップをうまく結ぶつけて出来たミスマッチの妙というべき、
アート感覚あるショップ群です。

商店街のある下町といったイメージしかなかった空堀に
新たな付加価値(=ブランド力)が加わったようです。

「からほり倶楽部」が注目されるに従って、
この町で店の開業を目指す若者や起業家が集まってきました。

YUI(結い)企画で使用させていただいた「楽」や「茶盆」、「縁」といった店舗も
そうした流れの中で開業した飲食店です。
いずれも町の持つ「和」の空間が醸し出す居心地の良さを味わいに、
何度も通いたくなる店です。

少し前にカフェブームというのが全国的に巻き起こりました。
ブームですから多くは淘汰されていったのですが、
喫茶店と違ってサロン的要素を持つカフェにとって空間の演出と提供は、
店の存続を決定する重要用件です。

空堀には歴史の重みを引きずった、未発掘の魅力ある空間が多数残っています。
このまちのカフェブームは未だ続いているようです。                 

 からほり倶楽部 

(2005/08/29 第8号)


釜戸ダイニング縁

「縁」のオーナー石本氏のお話から。  

・開店にこぎつけるまでは資金的な余裕もなく苦労の連続。    
 テーブルやいすも仲間たちの手による手作り   
・屋根が傾いた長屋だったので、柱の補強には気を使った   
・公務員を退職してこの道に入ったのは、生き甲斐を求めてのこと   
・大阪産業創造館の  に応募して料理修行   
・熊野街道に面した立地と空堀の町屋の特性を生かし、    
 釜戸炊きのご飯を店の主力に。おこげあんかけはお勧め!   
・こだわりを持ち続けたいとの想いから、盛り付けの器も自ら吟味   
・斜面に位置するため、地下室は反対側から見ると1階。   
 台地上を実感するため、壁は石垣をそのまま使用  

一つ一つのエピソードに伝わってくるのは、
石本氏の他にない、いい物を作りたいという想いでした。    

 釜戸ダイニング&雑貨「縁」 

(2005/08/14 第7号)


無理しないまちづくり

残暑お見舞い申し上げます

お盆休みともなると キタやミナミの繁華街は別として
大阪の中心部から人の姿が消えます

特に本町〜淀屋橋にかけてのオフィス街は閑散として
日中人気のないビル群と御堂筋は まるでゴーストタウンのような異様な光景です
改めて大阪市内は大方の人にとっては 生活するよりも働きに出てくる場所なんだと実感します

この淀屋橋でゆるやかな街づくりプロジェクトが進行しています
「淀屋橋ウェスト」と名づけられるこのプロジェクトは 文化の香りのする
大人が楽しむ場の創造を意図し
オフィスビルの空きテナントにこだわりの飲食店やブティックが
思い思いの番地を入れて出店し続けています

この淀屋橋ウェストをプロデュースされている
潟Pイオスの代表である澤田氏のセミナーを聞きました

澤田氏の話を聞いて感心したのは 思い入れに偏ることなく
まちの持つ特性を 梅田など他地域との比較マトリックスを用いて座標軸を明らかにし
最も適したまちづくりのアプローチをとっておられることです

そのためには まちの歴史や文化背景を徹底して調べる
その上でまちのポジショニングからコンセプトを導き出す

水が川上から川下へ流れるように 決して無理をしない
繰り返し仰ったのはこのことで
まちのにぎわいづくりを考えるうえで示唆に富む助言でした

(2005/08/14 第7号)


在りし日の夏の風物詩

夏真っ盛りです
わかりきったことなのに、「暑い、暑い」と何度も口にせずにはいられません

先日の紙芝居講座の後、にぎわい堂の裏の路地で打ち水をする人がいて
それを見たイベントを手伝っていただいた人がハッとしていました

年々花火大会が派手になり、
この時期だと毎日どこかで打ち上げ花火があがっていくのと対照的に
こういった昔ながらの夏の風景は少なくなっていくのですね

そういえば、子どもの頃は身近な存在だった町内の盆踊りですが
これも最近は減ってきたように思います

(2005/08/01 第6号)


なにわあれこれ

戦後60年の節目の年ということもあり、
今年の夏は例年になく戦争関連報道やイベントが目に付きます。
靖国やイラクの問題も影を落としているようです。

大阪では1945年3月以降、
大阪大空襲と呼ばれる8回に渡る大規模な爆撃を含む空襲が50数回ありました。
この結果、大阪の市街地の大半は焼け野原となりました。

明治の中頃、ハフカディオ・ハーン(小泉八雲)が「古都・大阪」と呼んだ、
江戸期以来の大阪の古き町並みはこのときにほとんど消滅したのです。

現在の空堀に町屋や路地が残っているのは、戦災を免れたからだと言われますが、
地図で見ると、それが如何に奇跡的だったことか一目瞭然です。

空堀の周囲を見渡しますと、当時大阪城には陸軍の司令部があり 、
付近一帯は重要な軍事基地でした。東洋一を誇った大阪砲兵工廠もこの地にありました。

この砲兵工廠から武器・弾薬など軍事物資を戦地に運ぶため、
玉造から安治川に至る輸送道路が戦争末期に作られました。
現在谷町七丁目の交差点を横切る、通称楠木通りはその輸送道路の一部です。
また、この道に面する大阪府社会福祉会館は、かつて大阪傷痍軍人会館でした。

こうした都市要件もあり、大阪の市街地は爆撃によりほぼ壊滅状態、
上町台地付近で言いますと上町筋の東側、及び松屋町筋より西は焼け野原で、
ミナミの繁華街は中座や高島屋他いくつかの建物が点在する程度でした。

このような状況下で戦火の空白地区として空堀が残ったのです。

さて、空堀商店街ですが、現在は上町筋から松屋町筋に至るエリアのみを指しますが、
戦前は玉造方面から延々と続く長大な商店街だったそうです。
(空堀の地名自体は豊臣秀吉が開削した南惣構による)

そのうち上町筋より東のエリアは空襲により焼失し、
残った西部分が現在の空堀商店街となっています。
今の空堀と呼ばれる地区は実は全体の一部だったのですね。

ちなみに谷町六丁目駅より東1km.の所に空堀町の地名が残っています。

戦後の復興→高度成長の中、時代遅れのものとして取り壊される運命にあった町屋ですが、
戦火を潜り抜けた貴重な資源として、現代のまちづくりのキーワードとして活用されています。
 (参考資料:ピース大阪)

(2005/07/20 第5号)


ちん電の車窓から

月に2度、ギターレッスンを受けに大阪から堺に向かう

移動に使うのは阪堺電車
大阪で唯一現存するチンチン電車として時折クローズアップされる都市部のローカル線

乗車する恵美須町駅は新世界の入口
御堂筋が出来るまで大阪のメインストリートだった堺筋に面している

かつて”大大阪”と呼ばれた華やかな時代があった
新世界も堺筋も阪堺電車もその時代を代表する大阪の顔だった

時代に取り残されたそれらの場所や遺物は
レトロという新たな付加価値を付与されて現在も生きつづけている

ひっそりと走り続ける阪堺電車には
数秒の遅れを問題視するスピード至上の発想は似合わない

乗り遅れそうな人がいれば待ってあげる
そんなのんびりした光景がここにはある

(2005/06/13 第3号)


はじまりにて

YUI(結い)企画の活動の場は大阪市中央区谷町六丁目
空堀界隈と呼ばれる地域です

大阪市内で古い町屋や路地(なにわことばで”ろぉじ”と発音します)が残る
地区として近年脚光を浴びております

また、上町台地と呼ばれる台地上に位置しているため、至るところに坂があり 絶妙な景観を醸し出しています

地名の由来は、豊臣秀吉が大坂城を築いた際
外堀の周囲に更に「惣構え」という自然の河川を利用した堀で町を囲み
その南側に当たる堀が平時には水を入れていなかった(空の堀)ことによるそうです

キタやミナミとは又違った意味で大阪らしいこの地域を紹介することで
大阪の元気作りになればと思います

空堀界隈については今後も語っていこうと思います

(2005/05/25 第2号)


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