休日の一日、宮崎神宮付近を散策した。
戦前の官幣大社で、由緒は古く神武東征にまでさかのぼる。
無論当てにはできない。祭神は神武天皇。
境内に足を踏み入れると、
我が国の起源がここにあり、といった感じの看板やらのぼりやらが目に付いた。
また、神社の北側にある平和台公園内には、
戦後平和の塔と名を変えた八紘一宇の塔がある。
天皇を頂点とした大東亜共栄圏の夢の跡。
いうまでもなく日向国は日本神話の主舞台であり、
山幸・海幸の牧歌的な物語もここから始まる。
この牧歌性が宮崎の風土のようだ。
市街地を歩いていてものんびりしている。
クルマの交通量も少なく、イライラした風情は感じられない。
だから余計に神懸り的でヒステリックな皇国史観とのギャップが
はなはだしいのだ。
八紘一宇の塔の周囲をうろついていると
地元住民らしい人のよさそうなおじさんがやってきて、塔について説明を始めた。
今や全国どこの名所に行ってもいるボランティアガイドの走りだ。
おじさんからは塔の建造や高さ、由来について色々説明を受けたが、皆目覚えていない。
ただ、「昔は八紘一宇の塔といってな...」と妙に口ごもって言ったのが印象に残る。
それにしても壮大な塔だ。高さ37mというが、それ以上に威圧感がある。
まるでべベルの塔かサグラダ・ファミリアだ。
作家・坂口安吾の一文に「高千穂に冬雨ふれり」という文章がある。
安吾は八紘一宇の塔を訪れたくだりで、宮崎の風土と対比してこう述べている。
鵜戸神宮が神々の伝説を幻想的な風光の中に生かし庶民の生活の中にも生き生きと息づいている大らかな様相にくらべて、強いて伝説を史実化したりすることの無理は伝説のもつ大らかな生命すらも殺してしまう。八紘一宇の塔が平和の塔に変わり、それがまたぞろ八紘一宇の塔になりかねないような危うさ悲しさ。それは日向の悲しさではなくて明治の悲しさであり、日本の悲しさだ。
ボクは塔の石段にぼんやり座りながら、そんな安吾の一節を思い返していた。