●能楽ウォーク〜青丹よし寧楽の都〜
2009年3月20日(祝)
▼案内人 石原昌和(NPO法人奈良能理事長)、山中雅志(観世流能楽師)
▼訪問先 ●転轄門(「大佛供養」) ●東大寺(「大佛供養」「安宅」) ●手向山八幡宮 ●春日大社(「春日龍神」) ●影向の松(「弓矢立合」) ●飛火野・野守水鏡(「野守」) ●猿沢池・釆女神社(「釆女」)
◇「子規の庭」
奈良駅から東へ県庁を通過して、北へコースを変え、転害門へ向います。
その途中、転害門の手前にある「正岡子規の庭」を見学しました。
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句で知られる明治を代表する俳人 正岡子規。
この子規が見たであろう柿の古木が保存されているのです。
その古木は子規が句を詠んだ当時、逗留していた旅館「対山楼」の跡地(現 日本料理 天平倶楽部)に現存しています。そして、その庭の設計は子規の孫にあたる正岡明氏によるものです。 思ったより華奢な枝振りの古木は、東大寺の屋根をバックに、野の花を回り咲かせて静かに立っていました。
◇東大寺転害門 国宝の転害門。三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門で、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構です。石原講師の説明ではその当時の姿をそのまま残しているそうです。この門の位置は大仏殿の西北にあり、吉祥の位置で害を転ずる意から転害門と呼ばれていて、謡曲「大仏供養」に、転害門が登場します。 隣接する日本家屋の重厚な建物は奈良市立鼓阪小学校です。創立130年を越える歴史ある学校だそうです。奈良の歴史の重さを感じます。
◇東大寺から二月堂へ
転害門から正倉院をぬけて東大寺、二月堂へ。 「お水取り」で有名な二月堂。旧暦の二月に「お水取り」が行われることから二月堂と呼ばれています。 お堂に通じる石段の斜面には珍しい樹があります。「多羅葉」と呼ばれるその樹の葉っぱは、葉書の語源とも言われており、なんと葉っぱの裏に文字が書けるのです。 参加者も落ち葉を拾って早速実験です。書いたその時は筋が付くだけですが、時間が経つとその筋が黒く浮かびあがってきます。とても珍しい良いお土産が出来ました。
さて、お堂へ上がると眺めがなんて気持ちいいのでしょう。奈良市内が一望できます。 「お松明」の火の粉を浴びると無病息災でいられるということで、毎年多くの参詣者が集まるお堂の欄干は、所々磨り減って黒光りがしていました。
◇手向山八幡宮 東大寺の大仏殿造営のときに、聖武天皇が大分県の宇佐から八幡宮を勧進したのが始まりといわれています。 手向山八幡宮宝庫は、奈良時代の校倉造。こんなに近くで校倉造の建物が見られるのは珍しいとのこと。
◇春日大社から飛火野・野守水鏡 円窓亭の梅
春日大社参道の南側を飛火野といい、能『野守』の舞台とされています。 青い芝生の雄大な眺めに参加者から「気持ちいいわ〜」と感嘆の声があがります。
そこから直ぐ近くには「円窓亭」という、もと春日大社経庫を改造したもの(鎌倉時代)があります。周りには梅が植えられいて、今は少し遅い時期ですがまだ楽しむことができました。
◇猿沢池・采女神社 〜奈良駅 ウォーキングも終盤、猿沢池、采女神社へ。 采女神社は猿沢池のほとりにある春日大社の末社です。 とても珍しいのは、なんと社殿が後ろ向き、すなわち池に背を向けているです。 その理由は・・・ 「大和物語」によれば、奈良時代 帝に仕えていた采女(うねめ:後宮で帝に仕えていた女官の職名)がいました。帝の寵愛が衰えたことを嘆き、あるとき、猿沢池の池畔の柳に衣を掛けて、入水自殺をしました。それで、この霊を慰めるため、社殿を建てたのです。 しかし、采女が身を投じた池を見
るに忍びないと、一夜のうちに社殿が後ろを向いたとい言われているのです。
17:50 近鉄奈良駅前で解散